くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年02月

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御祭神は倉稲魂命。
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天文元年(1532)創建と伝えらていますが詳細は不明。
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元文2年(1737)の検地帳によれば広田伊門抱えの稲荷社地があります。
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いずれにせよ古い歴史を持ちますね。
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明治6~8年は深郷田村八幡宮へ合祀されていました。
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この地区は縄文時代前期からの歴史を持つ地区らしいです。
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古くは十三湖に面していたと考えられています。
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スマートな狐様。
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この彫りは立体感が凄くて迫力あります!
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石碑には二柱神社。
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鳥居の神額には熊野宮。
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水分(みくまり)神社の碑。
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一般に神仏習合時代の水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ、金峰山の蔵王権現に属する神社として修験道の行場の一つとなっていたそう。由緒によりますと歴代の地頭代が崇敬し、吉野朝時代には吉野方の残党が吉野水分神の分神をここに奉遷し、三嵩山蔵王権現として信仰されてきたもの。密かに南方敗北を計ったといいます。
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石段を上って一の鳥居付近…
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そしてそこから二の鳥居まで若干距離があります…見えてきました。
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森に囲まれており境内は暗い感じ。
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社殿前の石段。
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たいそう立派な馬が見えます。
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灯籠も大きいです!
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猿賀神社とまでいかなくとも結構な大きさですよ。
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狛犬もまた大きい。
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しかも個性的!
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かっこいいですねぇ。
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こちらはかわいい狛犬。
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拝殿には両社宮とありました。
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御祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美命、水分之神。
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草創年月不詳。
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言い伝えによれば、 大同2年 (807) 8月、 坂上田村麿呂が猿賀神社再建の折り、 余材を以て当社を造営したと云います。
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本殿。
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本殿横の末社。
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五訓の森。帝国在郷軍人会町居村分会が昭和8年に建立(※五訓:忠節→松、礼儀→梅、武勇→桜、信義→椹、質素→杉)。陸軍中将軍西義一書。在郷師団長の尊称を持ち、町居村長を務めた竹村由雄氏発案。元々は集落内の溜池にあり、後に移転したもの。
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拝殿より参道を見下ろした図。
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その他、石碑や摂末社等。
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青森県神社庁より…
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「鎌倉時代、曽我氏が津軽の地頭代として入部以来、歴代の地頭代の尊崇の念甚だ篤く、奉謝の誠を尽くした。吉野朝時代には、吉野方の残党が吉野水分神の分神を此の地に奉遷し、三嵩山蔵王権現として秘かに南方恢復の壮挙を計ったように見受けられる。天文年中(1532-1555)、津軽の大守となった津軽為信公が父守信を失って一人となってから、当地の郷主町居飛鳥に養育されて、約5年在住し、熊野大神と蔵王権現を信仰し、早くから津軽統一の誓いを立てていた。」
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延宝9年(1681)10月調べの当宮神主山伏行人の覚えには、古来より熊野宮建立の跡有り、神主は齋宮太夫と云い、由緒詳細は不詳ですが、いずれにしましてもかなり古い時代からこの地にあったと考えられ、町居地区の産土神として尊崇されてきました。
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こちらは末社ならぬ…
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抹茶(笑)
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美味しそうな抹茶池ー!
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天正13年(1585)中別所村に創建。
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開山は花応春佐。本尊は釈迦如来。もと隣松寺末寺。
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元亀年間中別所玄蕃の建立で、中別所の別所森にあったといいます。
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慶長年間に長勝寺構(西茂森町2丁目)へ移転。
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享保年間に12世然玄大廓が遠江国周智郡秋葉山から火伏の霊験で知られる秋葉権現を勧請し、大般若会を催したといいます。
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以後毎年正月、5月、9月の24日に法会が行われ、多くの参拝者を集めたため般若寺とも呼ばれました。
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現在の堂宇は大正13年の再建ですが、本堂前の赤門は安政年間三国屋玄正の寄進で、鶴亀の彫刻があることから鶴亀の門と呼ばれています。
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