くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2013年01月

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本尊は釈迦如来。もと隣松寺末寺。
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長勝寺並寺院開山世代調によりますと、山号は新岡山とあり、天正年間(1573-15922)新岡村(旧岩木町)に創立されたとあります。
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開山は中岳祖玄。開基不詳。
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拝殿と本殿からなる堂宇。
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曹洞諸寺院縁起志によりますと、開基は藩祖津軽為信の家来新岡但馬で、慶長年間(1596-1615)弘前へ移ったとあります。
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正徳元年(1711)の寺社領分限帳の付記によれば、明和9年(1772)11月28日祈祷および廻船無難祈祷の功により御目見寺となりました。
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年中行事の大般若会は領内随一といわれていましたが、藩主の御目見が許された日と大般若会が重なった時に、大般若会を延期したことから宝積院の大般若会にその盛行が移ったといわれます。
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寺宝に幽霊の掛軸一幅と金毘羅大権現像があります。
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金毘羅大権現像は9世天勇の発願で勧請したもので、為信が難船した際に奇瑞をあらわしたことにちなむと言います。
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非常に美しい極彩色で、津軽領内の金毘羅信仰の中心であり、現在でも西海岸の漁師で漁獲物を持参して祈願する人がいるとか。
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津軽俗説選によりますと、高徳院の雷電神を信ずれば雷災に遭わないとあります。
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葛西彦六日記によりますと、文化10年(1813)9月1日当寺において富籤が行われました。
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真宗大谷派法涼山円明寺。法立寺の東隣。本尊は阿弥陀如来。もと東本願寺末寺。
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浄土真宗一派縁起によりますと、明応8年(1499)油川村(青森市)に念西坊宗慶によって開基。6世念西坊頼英の時、天正13年(1585)弘前藩祖大浦為信の油川城攻撃に協力し、その功により油川村近辺で24石の寺領を授けられます。慶長9年(1604)鰺ヶ沢で為信より13石の加増を受けます。この際に念西宛に発給した津軽為信黒印覚書状が現存します。
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円明寺本堂は県重宝。現在地には慶安3年(1650年)に移ったといわれ。現在の本堂は火災焼失後の仮本堂として明和元年(1764年)に再建。県内に現存する浄土真宗の本堂建築としては最古です。
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内部は来迎柱以外は角柱を用いており、虹梁が掛けられている箇所も少なく、挿肘木で支えられた大虹梁は雄大で、廊下と参詣の間との境に並ぶ竹の節欄間は見事で、その意匠も注目されています。
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正保3年(1646)三代藩主津軽信義の息女亀が死亡した際は当寺に埋葬。また境内に末寺浄龍寺がありました。津軽一統志によれば末寺として今別村に正行寺を擁していたといいます。津軽俗説選によりますと、阿弥陀仏を描いた軸があって「三方より拝するに、皆正面より拝するが如し」とあり、弁慶の背負ったという笈があるとみえます。
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永禄日記や平山日記によりますと、宝暦14年(1764)8月円明寺は焼失。新撰陸奥国誌に寛永10年(1633)本山より法涼山円明寺の号を受けたとあり、八代住職が隠居してのちに円覚寺を開いたとしています。
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そして円明寺塔頭の真宗大谷派 平等山 浄徳寺。
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若干廃墟化しているような…。
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お次は真宗大谷派 法輪山 真教寺。貞昌寺の西隣、道路を隔てて専徳寺の東隣に位置します。本尊は阿弥陀如来。もと東本願寺(京都)末寺。寺禄30石。
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浄土真宗一派縁起によりますと、天文9年(1540)坪貝村(旧岩木町)に創立、開山は不退転位浄理、開基は不詳。津軽一統志は創立年代を天文19年とし、初開地は不詳としています。
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新撰陸奥国誌によりますと、慶長5年(1600)に浄土真宗の総録所となり、同14年一町田村・高屋村(旧岩木町)内に寺領を貰い、寛永11年(1634)に寺領30石に。大浦城を弘前に移した際、弘前の寺町に移り、慶安年間(1648-1652)現在地に。正徳元年(1711)の寺社領分限帳では移転を慶安4年としています。
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津軽一統志によりますと念仏道場を梅田村・五所川原村、藤崎村、鶴田村、桑田村の5ヵ所に持っていました。
かつては塔頭として教応寺と正蓮寺を擁していました。
森町の時鐘堂ができる以前は真教寺の鐘で時刻を知らせたといいます。
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寛政7年(1795)11月に菅江真澄は諏訪行宅の墓を求めて雪の中を訪れています。
「諏訪なにがしのやども遠き村にうつりきときけば、人にとふに、行宅の翁の墳なん法輪山真教寺といふ寺にありといへる。そのつかはらを尋ねて、雪の中なる、文字もふりかくろへるに手向して、ふりうづむ雪の下なる友垣にいまはへだつる言の葉ぞうき」
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勝岳院。本尊は釈迦如来。もと隣松寺末寺。天正14年(1586)床前村(森田村)に創立。開山は庭叟守洞、開基は不詳。
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曹洞諸寺院縁起志と正徳元年(1711)寺社領分限帳によりますと、慶長年間(1596-1615)に弘前に移ったとあります。
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寺伝によると開基は藩祖津軽為信の三老の一人、小笠原伊勢の家来波多野勘解由。勘解由は床前に館を持っていたといいます。床舞には現在も寺屋敷跡と言われる場所が残ります。山号の由来は寺の鎮守であった八幡宮の神体が石であったため。
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元禄年間(1688-1704)大館村(森田村)を開拓した鳴海新兵衛が寄進した十六羅漢の第一「おびんずる様」が寺の守神として本堂に安置。また、『青森県における生殖器崇拝資料』によりますと、墓域内に昭和初期まで石製男根があり、所有者は遊郭関係者だったようですが現存しないようです。
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津軽俗説選によりますと勝岳院は正月に門松を飾らず、その理由として「門松を立つれば、此寺の住僧きつと死亡するなり、其理分らねども両三度和尚死せしより今に至るも立てぬといへり」とあります。
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こちらは頓川山 寿昌院。
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本尊は釈迦如来。もと長勝寺末寺。
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慶長12年(1607)創立で、開山は在州馨宅。
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曹洞諸寺院縁起志によりますと、元々は賀田村頓川にあり、新里村に移り、元和元年(1615)弘前へ移転。一方、正徳元年(1711)寺社領分限帳では弘前移転を元和年間としています。
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