くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2012年11月

安政2年(1855年)8月15日に建てられた追分碑(能代道が開けた大正4年に刻み加えています)。 右大間越通、左赤石沢目通。地元民以外には今でも役立つ追分石ですね。 今回紹介します曹洞宗松源寺は左です! 山門をくぐると急な勾配。 舗装されていますが積雪時は車で上 ...

ズンッズンズン ズンドコ♪ . きよしっ! ズンッズンズン ズンドコ♪ きよしっ! って、本当に氷川きよしの芸名の由来の神社なんです。 狛犬の頭に木が…(笑) 当神社の境内には7対の江戸獅子型の狛犬が残っています。いずれも石製で、その多くは祭礼や式典に合わせて ...

津軽三十三ヶ所観音霊場第十四番札所。本尊千手観音。 慶安3年(1650)創建。尾別神明宮の左の階段を使って胡桃館へと上って行きます。菅江真澄は5月頃にここを通り、あちらこちらにホトトギスが鳴いていたと記しています。 階段途中に稲荷様。 コンクリプロック石灯籠 ...

「弘前市斎場」 弘前市常盤坂にある鉄筋コンクリート平屋建(一部2階建)。実は昭和58年(1983年)完成した前川國男氏晩年の作品。 打込み煉瓦タイルが特徴の外観。建造物は炉前ホール・収骨室と待合室がエントランスホールを挟んで渡り廊下で繋がるという設計で、また中庭 ...

一見何でもないものがYUKIさんの目を通すと面白く見えてくるブラユキ写真館のお時間です。 まずはこちら。 力斗ラーメン遺跡! 今でもラーメンを作れそうな設備が見えます。 いや、作れないか(笑) すぐ近くには猿賀神社や弥生遺跡があります。 板柳イ ...

上野公園内の清水坂の上に鎮座。 初めは擂鉢山上にありましたが元禄7年(1694)にこの場所へ移築。 不忍池に臨む造りは江戸時代に浮世絵に描かれる有名な景観ですが、現在は木立に隠れて不忍池は見えません。 京都東山の清水寺を模した舞台造(懸造)のお堂。 ...

中腹までかなり急な勾配のため別名「ころび坂」。 氷川神社を挟んで氷川坂と本氷川坂があります。 「赤坂氷川神社(東京都)」 尊敬するタモリさんがこの坂の魅力について「氷川神社の木立と緩急あわせた勾配のバランスの妙」と言っています。 また、「大邸宅の物々し ...

中沢橋の横。旧郷社。 御祭神は天照大日靈命、伊弉諾命、伊弉冉命。  青森県認定「私たちの名水」。 神明宮のトヨの水。 藩政時代から禊、水垢離、茶道の清水に使われ、また往時日本海を往来した北前船にも積み込まれた貴重な飲み水でした。今もなおお茶を嗜む多くの人 ...

さてさて、猿賀神社探索シリーズの最後です(笑) 「猿賀石は旧猿賀字石林39番地から明治36年に移されたもので、古代人の巨石崇拝の遺物であると推定され、元あった場所は古代人の斎場遺跡と考えられ、猿賀・石林の地名もこれから起こった。丑石は字明堂238番2号地の丑盛から ...

猿賀神社及び盛美園裏手に「弥生遺跡」「小田崎」「五ツ盛」「七坊跡」とあります。 田舎館の弥生垂柳遺跡は有名ですが、弥生人が住居したのは高台と言われています。それが猿賀の高台。さて向ってみましょう。 盛美園の庭の構造は中央部分には木々が無く、裏の田園遠くの ...

猿賀神社といえばかつての猿賀館の跡地としても知られています。 境内に標柱が立っています。一度冬に訪れたら、まったく遺構がわかりませんでした(当たり前) 雪がない季節に訪れましたら、標柱の奥にはっきりと猿賀館の遺構が残っていました。 社殿の西側。土塁と空堀で ...

奥州津軽の霊地、猿賀神社 (奥州猿賀山深砂大権現堂)。御祭神は上毛野君田道命。相殿神保食神。旧県社。江戸時代までは深沙宮・深沙大権現と呼ばれました。また、別当寺と一体で猿賀神宮寺とも言われます。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』には次のようにあります。『( ...

日本橋川が隅田川に流入する河口部ある日本橋川の第一橋梁。中央区民有形文化財。 最初に橋が架けられたのは1698年(元禄11年)。北詰には船手番所が置かれ、諸国廻船が往来する江戸水運の要所に位置していました。 幾度かの落橋・焼失、再架を経て、1903年(明治36年)1 ...

猿賀山深沙大権現堂は猿賀村の南寄りに鎮座。 寺門(仁王門)はもと神社参道正面にあった旧神宮寺山門。明治4年の神仏分離令の際に現在地に移されています。 古くから猿賀山深沙大権現堂の別当の猿賀山長命院神宮寺。旧神宮寺遺物の深砂大王の額、大浦為信寄進の梵鐘の一 ...

標柱は百石町展示館前にあります。 「慶長16年(1611)弘前城築城当初の武士居住区の多くは、単に侍町と呼ばれ、当地もその一つでした。当時の百石町は現在の馬屋町の一部につけられた町名で、後に二百石町と改称されるにおよび当侍町は新たに百石町と名付けられ現在にい ...

本尊は十界曼陀羅。もと本満寺(現京都市上京区)末寺。 正徳元年(1711)の寺社領分限帳によりますと、天文2年(1533)賀田村(旧岩木町)に創建されて、堀越村を経て、慶長16年(1611)弘前寺町へ移り、正保年間(1644-1648)に現在地へ。 開山・開基は不詳。重宝錦 ...

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