くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2012年07月

イメージ 14
さて、今回は案内地図でいうと8~12番付近一帯を主に写真にて紹介したいと思います。
イメージ 15
この赤倉霊場案内地図だけが頼りなんですが、これ以上の説明がないのです(笑)
イメージ 16
せっかくなので菅江真澄も記している一つの伝説をここに書きたいと思います。
イメージ 4
イメージ 5
4.8
延暦15年(796)に坂上田村麿が蝦夷を征服されたころは、この山の名を阿曽閇(あそべ)の森といって怪鬼が住んでいた。これを討ち滅ぼそうと、軍勢をだしてわけのぼって行かれると、怪鬼は行方も知れず姿を隠してしまった。
イメージ 7
イメージ 8
それから多くの月日を経て、近江の篠原の国守であった花輪某という方が、この討伐に向かうことになり、生が浦に船をつけ、間山の城にこもって様子を伺っていると、ある夜の夢の中で「このあそべの鬼に勝とうというならば、万字のかたち、錫杖のかたをつくり、それを旗さしもののしるしとして、麓からおしよせよ。怪鬼は赤倉という岩木山の背後に隠れているが、その名も万字、錫杖といって、妖術も力も、このうえなくすぐれているものだ」と神のお告げがあった。
イメージ 9 
イメージ 18
花輪は喜んで、ひたぜめに攻めのぼると、鉦鼓におびやかされて、万字、錫杖ともに妖術を失い、ぼんやりとして、おそれおののきながら出てきたのをとりこにして、討ち平らげなさった。万字、錫杖はいまからのちは、決して人に災をしないと誓いを立てたという。
イメージ 19
イメージ 20
また別の伝説として、山城の国篠原の花野長忠の長男花若君が、住吉明神の夢想のままに、岩木山の鬼を討ち滅ぼし、また大嶽丸の一族であそべという鬼が、善知鳥前のかけはしのあたりにある岩屋に隠れ住んでいたところを討ちとめられたという。
8
8.4
8.8
その万字、錫杖らの子孫であろうか、今も大人というものが岩木山の北赤倉の岩屋に住んでいて、時に見かける人がいるという。
イメージ 24
イメージ 25
また、あやしい物語であるが、村長太田藤左衛門の家に、鬼のへそというものを、遠い先祖からもち伝えており、その家には上窓がなく、また節分には豆まきをして鬼を追うこともなく、代々過ごしてきた。
イメージ 26
イメージ 27
一代堂。
イメージ 17
イメージ 12
11.8
こちらには力士と行司がいました。
イメージ 10
イメージ 11
鬼がいる堂です。
イメージ 3
13.5
イメージ 2
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/

明治時代、種市村の栄助という行者が赤倉にて神となり、生き神様として信仰されるようになりました。そんな赤倉霊場を今回は紹介したいと思います。
イメージ 6
大石神社(弘前市大森)の裏手を更に上っていった場所。岩木山登山の赤倉コース入口がある場所と言った方が馴染みがあるかも知れません。
イメージ 9
赤倉霊場は赤倉山神社を中心に大小様々な堂社が数多く点在しています。土地も広大で、地図を見てもどれがどれなのかわからなくなるくらいです。
イメージ 8
今回は案内地図の1~8番までのエリアを紹介。
イメージ 7
大石神社から上ってくると最初に現れる鳥居。
イメージ 15
菊之道神道教社等。
イメージ 12
鳥居に「赤倉大神」とあります。
イメージ 14
案内地図1~4番の辺り。
8
「須藤芳信碑」がありました。
秋田県山本郡八森町岩館で出生。幼少より霊感あり神仏混淆を修行す。昭和三十二年弘前市東目屋の江利山氏を頼り鬼神の地岩木山中の赤倉山に三重塔を建立し後建石御堂へ籠もり昭和四十二年宗教法人赤倉山菊之道神道教社を創設神殿を落慶大教師となる。信者へ活力を授け広く全国の神社霊山霊場を共に巡拝し神道布教に全身全霊を注ぐ。また、山岳信仰の地赤倉に越冬電灯を設営遭難者用電話を設置する等人間形成修養の社会奉仕に尽力せり。平成元年六月六日遷化す。行年七十歳なり。
イメージ 1
更に上っていくと津軽赤倉山神社・鼻和堂。
イメージ 17
イメージ 2
イメージ 18
イメージ 19
案内地図の5番です。
11
イメージ 3
イメージ 4
赤倉霊場の中核、赤倉山神社です。
イメージ 11
青森県神社庁への記載はない神社です。
13
赤倉霊場中興の祖と呼ばれる「工藤むら」です。
イメージ 5
赤倉山神社を建立した方で、亡くなられた後は神として祀られているそうです。
イメージ 10
工藤むらは娘さだの体を心配しゴミソ(御巫祖)に相談に行き、赤倉山へと行くようになりました。
イメージ 22
鼻和村の産土様に3年3ヶ月の願をかけて信仰している間に成田の不動様の姿が入り、翌年正月から赤倉に行き、大石神社で3日の行をしているうちに霊感を得てゴミソ(カミサマ)になりました。
イメージ 33
工藤むらが赤倉に修行に来ていると夢の中に赤倉様が現れて、この地に社を定めるようにと天啓を受け、営林署から現在の土地を借り受けて赤倉山神社の前身の霊堂が造ったといいます。
18
18.5
その後も多くのゴミソが修業に集まり、それぞれ独立した堂などが造られていきました。
19
19.5
大正~昭和なんですねぇ。しかし赤倉の鬼神伝説を考えれば、形は違えどその信仰がもっと古くからこの地に存在していたとも考えられます。
20
20.5
古くから津軽の霊場として有名な修験の地だったことは確かです。そして現在もなお、ここは所謂聖地であり、信者による崇高な修験の場なのです。
イメージ 21
さて、更に上っていき、案内地図の6番です。赤倉山宝泉院。
イメージ 49
イメージ 27
イメージ 26
かつてここには立派な赤倉山三重塔が建っていました。
イメージ 28
イメージ 29
イメージ 30
1965年に建立され、2008年に取り壊されたといいます。
イメージ 34
イメージ 35
以下が赤倉山三重塔の痕跡。
イメージ 32
龍神大神。
イメージ 25
イメージ 31
庚申大神。
イメージ 24
庚申大神に下駄。
イメージ 23
更に更に上っていき、案内地図の7番です。十腰内堂。
イメージ 38
案内地図の8番のエリアです。案内地図には番号しかありませんでした。
イメージ 39
これまた独特な雰囲気が漂います。
イメージ 53
イメージ 40
再建弘法大師。
イメージ 41
岩木大神。
イメージ 50
猿田彦命。
イメージ 51
赤倉大権現。
イメージ 52
平間ハル。十腰内堂を開いた方。昭和39年の朔日山の登山(旧7月29日)にて、大雨にも関らず信者と共に登山を強行し、信者たちの目の前で鉄砲水に巻き込まれて亡くなったそうです。
イメージ 37
「平間波㐬之像」。
イメージ 36
イメージ 42
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/

岩木川の東岸「板柳町字土井」に所在します。
1
時代は縄文後期後半から晩期後半(約3000~2500年前)と推定されています。
2
ここが土井遺跡最大の1号、数メートル南に2号、幡龍橋下の河岸に3号、国道沿いの私有地に4号があります。
3
っていうか…現地に行ってもただ標柱があるのみで何が何だか(笑)
イメージ 6
土井遺跡出土の遮光器土偶や土器等は板柳町立郷土資料館にてご覧下さい。
5
それでも行きたいと言う方…場所は岩木川沿い、龍淵寺墓所隣り、竹浪酒造店裏付近です。
イメージ 1
ポチッとクリック宜しくね♪
https://localeast.blogmura.com/aomori/

↑このページのトップヘ