くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2012年04月

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新鍛冶町と申しましたが大体新鍛治町の近郊とお考えください。
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お昼の新鍛治町近郊探訪でございます。
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明治22年弘前市に所属以後は職人町・商店街として発展しましたが、昭和27年、吉野町に弘前電気鉄道(現弘南鉄道大鰐線)が開通すると、隣接の桶屋町、鍛治町と共に、映画館、バー、キャバレー、喫茶店などが乱立して有楽街へと変貌しました。
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その中心となったのは新鍛冶町の国民映画劇場・セントルイスダンスクラブであったと言われています。
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ジャスマック弘前館と開発センターANNEX2号館に挟まれている「北門山 大王寺」です。
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両隣のビルが大きいので大王感ゼロです…大王感って何さ?(笑)
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津軽弘法大師二十三札所の第一番がすぐ近くのご存知「金剛山 最勝院」で、こちらは第二番札所なんですよ。五大力尊は大変見応えがありますので是非。
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※津軽弘法大師霊場は津軽地方の真言宗寺院23ヶ寺(真言宗津軽仏教会)で、その霊場を巡礼するもの。
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「ブロードウェイ」「にくよし」「ブロックハウス1993」。
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この奥は…トイレ(笑)
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「サントリー会館1F」から「グランドパレス」へ昔は通り抜け可能でした。
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「井沢米穀燃料店」。
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この向かいには老舗の「ことぶき」があり、その隣には昔「居酒屋でぇ」がありましたが今は焼鳥屋。更に川端町方面に向けて「太田商店」あり、「弘前ドライ」「稲田屋食堂」「児島小児科」などもありました。
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「野崎鉄工所」。
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左隣は焼肉東天。右隣は昔は「養老乃瀧弘前店」でしたが今はカラオケ屋。
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東天向かいのビルはU字型に通り抜けが可能。
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新鍛冶通りから入り…
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いったん外に出て…
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再び新鍛冶通りに抜ける。
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「一茶食堂」。
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「鍛乃館」のフォントが渋いです。
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「カネヨビル(鍛冶町)」から「弘前センター(新鍛冶町)1・2F」への通り抜けは便利です。
鍛治町側から…
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途中には弘前センター2号館への階段と…
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3段程の階段&クランクがあり…
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新鍛治町へと抜けます。
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昭和10年古地図ではこの付近に「キネマ弘前」の文字が見てとれます。
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新鍛治町 ~ 其之壱」はこちら。

新鍛治町です。
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新鍛冶町と申しましたが新鍛治町の近郊とお考えください。
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お昼の新鍛治町近郊をブラブラ散歩でございます。
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南は桶屋町と銅屋町、北は鍛治町。
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東は北川端町と南川端町、西は鍛治町と桶屋町。
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慶安2年の弘前古御絵図には「新かち町」とありますが、これは新鍛冶町ではなくて鍛治町を指しています。
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寛文13年の弘前中惣屋敷絵図では屋敷割りされていますが、新派町と総称されています。
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延宝6年の弘前町方屋敷割で現在の町域ができていますが町名は大工町と見えます。
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宝永2年の国日記より新鍛冶町と称するようになった記録があります。
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ももくり横丁付近。
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「琴美容室」の絵がレトロ。
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「こんな村本店」の裏手。現在は空き地。
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横の細い路地から表玄関へ通り抜け可能です。
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それにしてもこの看板は意味がないと思われます。
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「城東閣」の通り抜け。
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鍛治町側入口と…
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新鍛治町側入口。
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年代物の販売機が放置されています。
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近年まで営業されていた「ラーメン大清」の看板が静かに眠っていました。
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ラーメンより焼きそばをよく食べましたねぇ。
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隣にあったバンビ保育園(鍛治町側)と新鍛冶町側の建物が無くなり、駐車場として繋がったので、城東閣の通り抜けはあまり使わなくなりました。
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「季節料理川崎」の右隣の高層マンションはかつての「紅屋弘前店」。
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新鍛冶方面からも紅屋に入店可能で、裏口には「フローリストクロタキ」がありました。
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また、現在のダイヤモンドビル向かいの駐車場が紅屋の駐車場でした。
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川﨑の左隣は福島ビル。
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福島ビル1F「マイルストン」2F「JAH」、福島ビルの更に隣の角に華貴屋。
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更に土淵川方面へ行くと「三上ふとん店」、現在もある「きりまんじゃろ」、「小原流いけばな教室」、「雀荘オーケー」、「さそり座」がありました。
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当時の紅屋向かいの銀水食堂、蛯名こんぶ店等は変わらず。
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とり畔の隣に「はむら食堂」がありました。
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新鍛治町 ~ 其之弐」はこちら。
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猿賀神社拝殿東側の鏡ヶ池湖畔に鎮座。水天宮水波能売神を祀ります。
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 社の天井には大蛇が二匹。祠の後方に龍があり、そこから水が流れ出ています。
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弘前の胸肩神社のものと同じですね。
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なぜ蛇?…
猿賀神社の祭神は、蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる上毛野君田道命(かみつけののきみ たじのみこと)を主祭神としています。
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また、日本書紀によれば祭神は伊峙水門で敗死したとあり、社伝によれば敗死した田道命は従者によって当地に埋葬され、後に蝦夷がその墓を暴いたところ、田道命の遺体が大蛇と化して毒気を吐いたので、人々が恐れて現在地西方の猿賀野に祀ったといいます。後に仏教の守護神である深砂大王(じんしゃだいおう)と習合し、深砂大権現(神蛇宮)と呼ばれるようになりました。
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あかい堂は恐らく閼伽井戸。閼伽(あか)は仏前・墓前に供える水。閼伽を汲むための井戸を閼伽井、その上屋を閼伽井堂といいます。
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さんご占場にもなっているようです。
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こちらは池上神社(薬師堂)。猿賀神社拝殿東側に鎮座しています。少彦名神を祀り、医薬の神として信仰されています。
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