くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2012年02月

藩政時代は「九十九森」と呼ばれ鷹狩場でした。
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九代藩主寧親公が文化12年(1815)に別邸と庭園(前庭と後庭からなる武学流)をつくりました。
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明治29年(1896)に弘前市南郊の富田に駐屯した陸軍第八師団の親睦・厚生組織である「弘前偕行社」の新築計画が明治37年(1904)に持ち上がります。
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設計担当者は当時陸軍関係施設を一手に引き受けてきた堀江佐吉。
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九代藩主寧親別邸跡地(約22,000㎡)に明治40年(1907)にイタリアルネッサンス風デザインを基調とした第八師団弘前偕行社が完成。
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簡素な玄関ポーチに翼棟を広げたデザインは当時の軍関係施設の特徴を顕しています。
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戦前は主に将校の社交場や物販・厚生施設として活用されました。
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明治41年(1908)皇太子嘉仁親王(大正天皇)がここに一泊した際、この庭園を「遑止園」と命名し記念植樹をされました。
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また大正4年(1915)大正天皇の行幸の際に行在所となりました。
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終戦後、偕行社は解散、昭和20年(1945)弘前女子厚生学院が移転。
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昭和55年まで弘前女子厚生学院及びみどり保育園の保育舎として使用されましたが、その後は弘前厚生学院記念館として自主的に保存することになりました。
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私はかつてこの偕行社内でピアノを習っていましたが、あれは何年頃でしょう…
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覚えているのはレッスンに向かう際のこの廊下を歩くのがとても苦痛だったこと(笑)
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玄関ポーチの角にモルタル擬石によるコーナーストーンや玄関上部にルネッサンス風ドーマーウインドー(屋根窓)があり格調を高める一方で、ポーチペディメントには「八」をもじった「蜂」の鉄製飾りを付けるユーモアがおもしろいです。
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主棟の窓は三角形ペディメントのギリシア風上げ下げ窓。軒の破風はバージポード(切り抜き板飾り)仕上げで、鉄製の星型換気口は第五十九銀行(青森銀行記念館)と同じです。
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片廊下に縁側付きの集会室は腰板に漆喰仕上げで、漆喰によるシャンデリア付き円形の中心飾りに天井繰型があります。
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暖炉には外国製と思われるタイルが張ってあります。
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超名作映画「八甲田山」のロケ地でもあり、最近では津軽百年食堂のロケ地ともなりました。
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昔の門と現在の門付近を比較。
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当時のままです。
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弘前市御幸町
0172-33-0588
休館日は土日祝日
9~16時
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かつて安渡湊と呼ばれていた大湊は北前船で賑わう商人の街。
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砂洲に囲まれた大湊は天然の良港。
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今回はロマンス坂と一番坂の間くらいをブラブラしてみました。
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名のない坂道。
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全然関係ないですけど「高坂」という呉服屋はありました。
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細い坂道です。
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鋭く曲がっており、なかなか坂上が見えません。
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坂の中腹に停まっていた車…身動き不可能(笑)
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見晴らしもよくはありませんが僅かに海が見渡せます。
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途中で砂利道となり、丁字路にぶつかります。
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左がロマンス坂方面。右が一番坂方面。
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一番坂方面にブラブラします。
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一番坂途中の大島助産院のところに出ます。
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車は通れぬ生活路です。
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大館と平川市の県境(羽後国と陸奥国の国境)…矢立峠。
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こちらは相乗温泉。営業当時は物凄く賑わっておりました。私の小さい頃の写真を見ると物凄い客で溢れています。※廃業後は超有名巨大廃墟スポットとなりましたが、現在は建物を利用してグループホームが営業されています。
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 「ウォーターコースター、走る水しぶき、目もくらむこの速さ、エキサイティングハードに、あいのり温泉」
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相乗温泉のすぐ向かいにも残されていますが、矢立峠には奥羽本線旧線の廃線が残されていることでも有名です。

写真は矢立温泉付近に残る第六矢立トンネルと橋脚。
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こちらは第一矢立トンネルです。
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トンネル手前の建物もすべて廃墟です。
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アーチ橋台の上に建てられている不思議な廃墟。
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かつては喫茶店だったとか。
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ある意味芸術です。
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相変わらず矢立峠には不思議スポットがいっぱいですね。
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さて、1970年に放送されたNHK『新日本紀行』の「三重連の峠~秋田・青森県境 矢立峠~」では旧線を走るD51形蒸気機関車の三重連や賑わいを見せる相乗温泉プールの映像が収められています。
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相乗温泉の映像はほんの一瞬ですが、「えっ!?ここを機関車が!?」と驚くと思いますよ。動画があるので探してみてください。
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それでは大好きなお蕎麦でも食べて帰ることにします。
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