浅瀬石城趾に設置されていたボロボロの案内看板を見て、その痕跡を少しだけ辿ってみることにしました。
「浅瀬石城趾」の記事

まずは辛うじて文字を読み取れた牛頭天皇社に向かいます。畑の中にありましたが、何やらとても歴史を感じますね。

特にこの入口にある2本の木は圧巻でした。夫婦雷樹と名付けられています。

右側は国内最大級のポプラらしいですよ。

何かもう…

木の造りとして…

大変なことになっています(笑)

かつては廣峯神社(広峰神社)と称し、延徳元年には存在、慶長二年に御堂が焼失して廃社。慶長六年に牛頭天皇社として再興。明治の神仏分離令、一村一社の制度によって廃社。

貞享4年検地水帳では村中抱えの牛頭天皇社、愛宕社、妻神社、羽黒堂、八幡堂、不動尊堂、稲荷社、権現堂、貴船宮があり、牛頭天皇堂には境内林1町1反余がありました。写真は撮りませんでしたが中には立派な画などが納められていました。

さて、お次は浅瀬石城趾設置のボロ看板(ボロって言いすぎw)に書かれていた五輪塔へと向かってみました。

牛頭天皇社の程近くに小高い土手のような土地がありまして…

その一画の茂みの中に見事に残されていました。

建立等の詳細はわかりませんが浅瀬石最吉の史蹟とも言われています。

確かに歴史を感じる五輪塔です。

浅瀬石城主一族の供養塔。
