くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

2011年08月

イメージ 1
ようこそ「くぐる鳥居は鬼ばかり」へ

おいしいものを求めてお出かけし、神社を見つけたらその地域の神様に感謝申し上げる・・・そんな日々。タイトルは津軽地方の神社の鳥居に鬼がいることに由来し、良い意味で使用しています。

まずはじめに下記について読んで下されば助かります(^^)

坂や神社を中心に様々な建造物等も紹介していますが、すべて個人的趣味の範疇にあり、まったくの素人ですから、細かい説明・内容等につきましては絶対にあてにしないでください一個人のしがない日記と捉えて頂ければ幸いです。

また、記事内においては不明(由緒等不明・不明の石等)としていたり、誤った情報も多々あるかと思います。その際は優しくご教示頂ければ嬉しく思います。なお「不明」としているものも、私の調査・勉強不足によるものが多いかと思います。青森県外の資料は特に乏しい為、詳しく書いておりません。

※記事の内容に関しては、遡って随時修正・追記する場合があります。
※記事の内容(訪問時期)と更新時期が著しく乖離している場合があります。
※私の憶測等で書いている箇所が多々ございます。誤った情報を広めないためにも文章引用の際には一言頂けたら助かります。
旧暦と新暦の区別なく記載している箇所が多数あります(特に例祭日や創建日など)。
※古い記事では外部とのリンク切れがあるかも知れませんが、特に修正はしておりません。
livedoorBlogに移行してから、過去の記事を神社名等で検索しても全くヒットしないケースが多々あるようです。恐らく私のタイトルの付け方が悪いのでしょう。どうしても探せない場合、一言頂ければアドレスをお伝えします。
※紹介している神社仏閣を個人的に推奨・評価するものではございません。よって神社仏閣に対する個人的なトラブル及び不平不満等について私にぶつけないでください…解決できません。
※最新情報、正しい情報提供を保証するものではございません。専門家でもございません。伝説の域を出ないものも多数紹介しております。時に過去の歴史さえ変わることも御理解ください。
※質問は私がわかる範囲でよければお答えしています。気軽にお尋ねください。但し、ある程度のアイデンティティー(友人申請者、プロフ及び記事公開者など)が確認される方にのみですが。
※極度の高所恐怖症のため、そういった場所では探求心が一気に消え失せます。
※御朱印についてはブログ内では触れません。質問も受けません。

※「道の駅」や「滝」については単独で記事にしているものが少ないので、タグ絞り込み検索が探しやすいかと思います。

以前のブログは2007年10月07日から始めて2012年06月11日で終了。こちらのブログは2011年4月15日から並行して始めました。地味な内容なので需要はほぼないと思いますが、自身の趣味でもあり、また、勉強のため、そのモチベーション維持のために続けています。

※Yahoo!ブログサービス終了に伴い、当ブログも平成いっぱいで終了する予定でしたが、存続のご要望をたくさん頂きまして、livedoorBlogに移行しました。残念ながらこれまで頂いた皆様のコメントについては仕様上、移行できませんでした。なお、移行に伴う不具合(リンク・フォント・写真等)がたくさんあるかも知れませんがご了承ください。

鳥居の鬼コに係る素人的考察は以下の記事及び書庫からどうぞ。
愛読書&参考文献:『菅江真澄遊覧記』、『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』、『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』、『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)、その他古地図等
神道文化検定試験取得済
イメージ 2

下ノ坂と共に上ノ坂(かみのさか)もまた黒石を代表する名坂と言えます。
イメージ 17
現在の袋井から前町・中町へと上がる坂道…つまりこみせ通りへと繋がる坂です。情緒溢れる非常に素敵な坂です。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
緩やかな湾曲。
イメージ 4
イメージ 8
坂の中腹には宇和堰が流れます。
イメージ 10
元禄7(1694)年の御国中道程之図によれば、陣屋の敷地東側を上がる坂が上ノ坂であり、坂上には東門がありました。現在の市役所付近になります。
イメージ 5
寛延巡礼記に『堂一間四面…神明の宮あり…この所、上ノ坂という。これより下に下ノ坂とて、稲荷、八幡の宮あり』とあります通り、坂上には黒石神明宮があります。
イメージ 6
黒石神明宮は文禄年間(1592~95)には既に小祠が鎮座し、正保年間(1644~51)には津軽三十三観音霊場第二十六番札所、黒石観音が祀られていたと伝えられています。
イメージ 7
黒石藩が成立後は藩主の祈願所として庇護され天和2年(1682)には藩主津軽信秀の命で本殿、神楽殿を建立寄進、宝永3年(1706)には津軽信敏が精舎神明宮を造立しています。明治2年の黒石前町の大火で多くの社殿、社宝、記録など焼失し、明治12年に再建。神仏分離令が発令されると仏式が廃され黒石観音は札所巡りが再興すると法眼寺に移されました。
イメージ 12
『御祭神:天照大御神。相殿神:松尾大神・住吉大神・牛頭天王・天神。起源不明なるも文禄年間(1592-1595)、第百七代後陽成天皇時代現地にすでに小祠があったと伝えられているが、それは或いは正保年間(1644-1651)、津軽三十三観音の26番目の札所となった黒石観音堂ではなかったかと思われる。寛延4年(1751)、「津軽三十三所順礼」によれば26番黒石とあり、「堂一間四面西むき、前に一間に二間の拝殿あり、住吉大明神の堂あり、牛頭天王の堂あり、二間に三間の神楽殿あり、神明宮あり、天神の堂あり、松尾大明神の堂あり、この所を上の坂という」。天和2年(1682)9月16日、黒石藩主津軽信秀公願主となり武運長久子孫繁栄領内安穏の為、家老発田茂太夫城代澤井直右衛門を遣はし奉行、町年寄、棟梁等を督励して本殿、神楽殿を建設し藩主の御祈願所とし永代御神楽を勤めさせた。明治2年5月14日黒石町大火により焼失。同12年新築す。』
イメージ 13
イメージ 14
境内には広い公園があります。
イメージ 15
神明宮裏手から堰を眺める。
イメージ 16
写真は大正2年、前町上ノ坂上の冬の神明宮。今と違って見晴らしがいいですね。
イメージ 9
また、黒石には有名な黒森山浄仙寺がありますが、浄仙寺は是空が廃庵状態にあった上ノ坂の浄仙庵の復興という形で明治8年に開山したと言います。現在の黒石神明宮付近、上ノ坂に浄仙寺の由来があったのですね。
上ノ坂 ~ 其之弐】へ続く…
イメージ 11

イメージ 1
下ノ坂は津軽の中でも情緒・由緒を色濃く残し趣溢れる名坂と言えます。
ちょっと見難い地図ですが…。
イメージ 2
赤い線が下ノ坂。二本の青い線は上が宇和堰、下が小阿弥堰。緑が久須志大神。ピンクが黒石稲荷本殿。水色が西門跡の桝形の名残。黄色が現在も残る桝形の道で趣ある第二消防部屯所を残します。
イメージ 12
では小阿弥堰から下ノ坂を上りましょう。
イメージ 22
イメージ 32
イメージ 33
イメージ 34
宇和堰沿いの左には久須志大神。右には黒石稲荷への入口が2つあり、1つは古い石段となっています。
イメージ 3
イメージ 4
2つの入口より下ノ坂を見下ろす。石段下にはちょうど久須志大神が見えます。
イメージ 5
イメージ 6
黒石稲荷神社は創建こそ不詳ですが古くより「黒石稲荷様」と称されて、黒石村中の産土神として信仰、文安3年(1446)に秋覚と名乗る人物が別当となり祭祀が行われるようになったと伝えられています。なお、境内を抜けるとちょうど黒石陣屋の馬場(現在は黒石城跡石柱を残しています)へと出ます。
イメージ 7
イメージ 8
当初は稲荷宮と称して蝦夷館付近に鎮座し、黒石藩成立に深く関わり、黒石津軽家歴代藩主の祈願所となりました。元禄4年(1691)黒石陣屋に隣接した現在地に遷座、社殿再建や大鳥居建立等は藩費で行われるなど大変庇護され、享保11年(1726)には「黒石鎮守正一位稲荷大明神」の神位を勅許。明治時代に八幡宮を合祀し郷社に列しています。
イメージ 9
イメージ 10
大正2年の稲荷神社と現在の稲荷神社。
イメージ 11
イメージ 13
「寛延巡礼記」にも『堂一間四面…神明の宮あり…この所上ノ坂という。これより下に下ノ坂とて、稲荷、八幡の宮あり』と記されています。
イメージ 15
イメージ 14
鳥居には『稲荷神社 八幡宮』とあり、稲荷さまと八幡さまを祀っているようですが、八幡宮本殿は社趾の碑となっています。
イメージ 16
さて、黒石稲荷から下ノ坂へ戻り、更に坂を上りましょう。
イメージ 17
この外灯って古いですよねぇ。
イメージ 18
イメージ 19
何やら少しずつ坂上に姿を現すものがあります。
イメージ 20
イメージ 21
五重塔!?
イメージ 23
イメージ 24
第二消防部屯所でした。
イメージ 25
下ノ坂からは少しずつその火の見櫓が頭を見せ、上る人々を楽しませます。
イメージ 30
坂上を真っ直ぐ進めば西門跡地(現在は桝形の痕跡を残します)です。
イメージ 26
イメージ 27
更に進めば桝形の交差点に出て、左には趣きある建物が数軒、正面には第二消防部屯所が今も残っています。
イメージ 28
イメージ 29
大正9年の建築、木造二階建で、二階上部に火の見櫓(望楼)があり、黒石市内に現存する火の見櫓の屯所では最古の建物です。
イメージ 31
2回に渡ってお送りしました名坂『下ノ坂』、楽しんで頂けましたか?それではごきげんよう。

↑このページのトップヘ