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岩手県二戸市金田一大釜。
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鳥居額束。
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拝殿向拝神額。
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拝殿内。正面に本殿。奉納幕紀年銘は昭和58年1月吉日。
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天狗がいました。
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白山神社の由耒…『【一.加賀の国大本山 白山本宮について】加賀の国(今の石川県)大本山白山本宮は「霊峯白山」のまつりの庭として「白山本宮」「白山一宮」と仰がれ白山比咩神社」の御鎮座は崇神天皇の七年と伝えられその後、大火により、旧鎮座地の古宮址の森から三宮鎮座の地である現在地に、御遷りになり後土御門天皇の文明十二年から数えて昭和五十五年が五百年にあたるといわれる。現在は加賀の国石川郷鶴耒町三宮に鎮座している。【二.白山神社 神紋の由耒について】神紋の名称は「三子持亀甲瓜花」と申します。この神紋は、六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち、即ち、三条の構を配し、その中に瓜の花を描いたもので、その意味は、亀甲は千寿万歳の長寿を卜し、三つ子持ち即ち三条の構えは父祖から子、子から孫へと過去、現在、未来に亘って絶えることない「家運長久の表現」であり瓜は古代における「珍菓」であり、これを神に捧げて子孫の繁栄を祈るという「神まつりの表現」であります。したがって「白山神社」は家運長久、子孫繁栄、神人和楽の神であります。【三.下平白山神社の鎮座】明治の初期、加賀の国から岡部昌庵という医師が金田一村「野月」の舘日野屋新兵衛方に転居し、その時持ち来った加賀の国白山神社の分神を此の野月に鎮座させたものと思われる。その後幾度か転居し、最終的には現在の森氏の家に住み死亡されている。現在の白山神社は、その後、八坂神社、秋葉墓地などを探し、だいぶ明確になって耒ました。百年以上の歴史をもっています。当白山神社の祭礼は毎年十月二日に定め礼拝致しております。【四.岡部家の家系と白山神社の歴史】初代岡部昌庵-明治十九年九月二十八日没。岡部マサ-明治二十七年七月九日没。二代岡部昌栄-昭和七年一月二十五日没。三代岡部安-昌庵の二男が昭和八年三月一日相続。その後の岡部家の消息は不明である。』
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