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秋田県鹿角市十和田毛馬内高田と毛馬内森崎の境に鎮座。毛馬内稲荷神社ではございません。近くには鹿角市立毛馬内保育園がございます。
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毛馬内村は「南部家系譜」に「毛馬内靫負領知奥州鹿角郡毛馬内郷。天正13丁酉年11月10日卒六十五歳」とあるのが初見史料。「鹿角由来記」によりますと「毛馬内町、毛馬内備中領知、本名成田の惣領也。後に南部靫負信継領知。天文年中三戸より知行遣わさる。高二千石。村数毛馬内・瀬田石・大欠ケ・赤沢・楢板躰・鰐口屋敷・菅生躰。毛馬内に館有り」とあり、「鹿角志」によりますと村名の中に、日暮躰・籠屋ノ沢が加えられ、居館が「古は当麻館、後に柏崎館」であると記されます。当麻館は建武4年北朝方の津軽曽我貞光の攻撃を受けました。柏崎館は慶長の末に藩主南部利直の縄張りにより造営。「奥々風土記」に鹿角三大日堂のうち胎蔵界大日堂が毛馬内にあり、継体朝にだんびる長者の建立した、小豆沢・長牛両村のものと組をなしているとあります。「鹿角郡根元記」によりますと、桓武朝に坂上田村麻呂が陸奥国に建立した月山社七座のうちの1社が毛馬内月山神社であり、また、毛馬内の古館は成田備中が天喜年中から代々居館としました。建久年中南部氏の鹿角領有後、天文年中南部氏一門の武田靫負佐秀範がこの館に居り、毛馬内氏と苗字を改めたとあります。「邦内郷村志」によりますと、蔵入高45石余・給分采地970石余、馬231、戸数314(うち上町31・中町34・下町46・五軒町57・加屋町33・下小路75・川原町38)。領主の居館柏崎館があります。月山権現がまつられ、所領11石余。永福寺門徒別当広増寺があります。承応3年重直、元禄4年重信と南部藩主が社殿を造営し再建。伊勢宮・稲荷社は修験宝珠院が別当、八幡宮・新山社は修験不動院が別当、他に数社があります。曹洞宗凱翁山仁叟寺は明暦3年創建で桜庭氏の菩提寺、閉伊郡善勝寺末寺で盛岡報恩寺支配。浄土宗根福山善徳寺は盛岡大泉寺末寺で寛永5年開山、同宗直至山誓願寺も同本山で享保年間に白根より移転、浄土真宗浄光山常照寺は盛岡本誓寺末寺で和賀郡土沢から移転、日蓮宗本光院は三戸妙光寺末寺で盛岡法花寺支配。「天保郷帳」では1,607石。「奥々風土記」には毛馬内里の正東群山の中に来満山があり、鹿角・三戸両郡の堺で、36里間駅家もなく冬から春には往来絶える険阻の坂道(峠)であると記します。郡区町村制下瀬田石・岡田両村と連合。戸長役場は毛馬内村にあり警察分署もありました。明治22年、鹿角郡毛馬内町の大字となります。
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社殿。当稲荷社の由緒等については調べておりません。
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社殿内。本殿両脇にも小祠。手前に御神馬。天井には神輿や太鼓などが見えます。
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稲荷神社参道脇にあった建物。
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堂宇内。
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観音像といった雰囲気でもありませんが、子安観音的な感じですかね。
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いずれも授乳という共通点があり、4躰の内の2躰はそれぞれ弓を手にしています。一対(2組)なのかも知れませんね。棟札らしきものは像の裏にあったため見えませんでした。
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