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栃木県日光市山内。輪王寺内。二荒山神社別宮本宮神社と日光幼稚園の間。日光幼稚園は四本龍寺観音堂と櫻本院に挟まれています。櫻本院の隣には日城坊、向かいには禅智院。更に北に進むと、華蔵院、輪王寺小玉堂、明治の館(レストラン)などがあります。四本龍寺向かいには南照院や妙月坊があります。
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紫雲石。
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四本龍寺紫雲石…『ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝をささげた折、この石の辺りから紫の雲が立ちのぼり、男体山の方へたなびくのを見たということから、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、平安時代の日光の中心地であった。』
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石仏・日光型庚申塔。
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「天平神護二年日光山草創四本龍寺」。
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四本龍寺の創建は天平2年、勝道上人が祈祷していたところ、紫雲石と呼ばれる石から紫色の雲が発生し男体山の方へたなびくのを見たことから、この地を四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の霊地と悟り四本龍寺を開創。大同2年には下野国司橘利遠が帰依し千手観音堂を造営。
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その後何度も火災に遭い、現在の観音堂は貞享元年の大火で焼失後再建されたもので、桁行3間、梁間3間、寄棟、銅瓦葺きで、日光山では珍しい白木造りです。
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三重塔は元々は仁治2年に東照宮境内に建立されましたが、日光大造営の際に現在地に移されて、観音堂と同様に貞享元年の大火で焼失後再建。三重塔(桁行5.64m、梁間5.64m、三手組二重垂木)は観音堂とは異なり、十二支の彫刻や極彩色で彩るなど鮮やかな印象を受けます。明治時代初頭に発令された神仏分離令によって日光山内が二社一寺に分離され、四本龍寺は日光山輪王寺に組み込まれ(境内前面に鎮座する本宮神社は日光二荒山神社の別宮となっています)、明治7年金剛童子を合祀したことから、金剛堂との別称もあります。四本龍寺観音堂、三重塔はいずれも国指定重要文化財。下野三十三観音霊場三番札所。
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四本龍寺観音堂(県指定文化財)…『天平神護2年(766)大谷川を渡った勝道上人一行は、この地に草庵を結び、四本龍寺を建てた。その後、大同2年(807)下野国司、橘利遠が千手観音を祀る堂を建立。四間四方(約8メートル)。二社一寺の建造物で唯一の素木造り。明治7年に、金剛童子を合祀をしたので「金剛堂」とも呼ばれる。下野三十三観音巡りの第3番札所。』
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四本龍寺三重塔。高さ18m。
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四本龍寺三重塔(重要文化財)…『日光山二十四世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために仁治2年(1241)に東照宮境内付近に建立。その後この地に移された。貞享元年(1684)の大火で焼失、翌年再建されたのが現在の塔である。三間四方(約6メートル)。最下層の蛙股に十二支の彫刻がある。隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡である。』
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観音堂と三重塔の間にある鳥居。
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小さな鳥居です。鳥居の先は日光修験道に古くから伝わる顕密護摩壇。
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石が載せられています。
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奥に不動明王。
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