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※一応流れ的には、記事『神馬の碑・手掛石・北野神社・養源院跡(日光市)』からの続きとなっています。
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宝篋印塔。
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妙法蓮華經一萬三千部・佛説阿彌陀經十萬八千巻供養塔(宝暦4年11月23日)。
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地藏堂常夜燈。
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輪王寺開山堂へ。
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参道正面に見えるのは観音堂です。開山堂は観音堂の隣。
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観音堂鳥居。神仏混合の名残り。
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観音堂石燈籠一対。
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9.5
観音堂は栃木県指定有形文化財(建造物・昭和49年7月5日)。揚柳観音菩薩を御本尊として祀り、俗に香車堂あるいは産の宮と呼ばれています。この建物は一間社流れ造りで入口には鳥居を配し、堂の周囲は石柵で囲って正面のみ開き、その内側には石畳、左右に石灯籠一対という珍しい形式をしています。建物は土台をまわし、角柱を建てて三方に縁高欄を廻らしており、向拝は一間虹梁上に蟇股を置いて花鳥の彫刻を入れ、斗きょうは三斗組で和様。江戸時代初期の様式を残した貴重な遺構です。
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蟇股。
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11.5
堂宇の周囲に並んでいるのは将棋の駒。
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出産を控えた女性がこの駒を借り、自宅の神棚に供えれば安産と言われ、無事出産した時は新しい駒をつけて返納するシステム。産の宮法楽10月18日。
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観音堂(産の宮)県指定文化財…『この観音堂は、楊柳観音を祀ったものであり、別名「香車堂」「将棋っ駒」とも呼ばれる。将棋の駒の香車が戻らずに直進する駒なので、妊婦がこの駒を借りて帰り、自宅の神棚に祀ると、無事出産できるという安産信仰の社でもある。出産後は、借りた駒と共に新調した駒を一緒に返納するので、駒の数は増えるばかりである。』
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観音堂横へ。
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池。
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池の中に陰陽石があります。
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陰陽石。
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観音堂側面。後ろは開山堂。
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陰陽石…『お産に縁のある、自然石2つからなる奇石。陰(女性)と陽(男性)を意味すると言われている。観音堂を訪れた人は、ここでも安産を祈願する。』
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開山堂。日光山の開祖勝道上人が弘仁8年旧3月1日に遷化した際、荼毘に付したのが開山堂がある仏岩谷。正面には一品公遵法親王の書かれた「開先院」の額が掲げられ、堂内には室町時代作といわれる木造の本尊地蔵菩薩と勝道上人坐像、勝道上人の弟子10人の木像坐像が本尊の左右に納められています。
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開山堂(重要文化財)…『堂内には、約4.5米の地蔵菩薩及び日光開祖、勝道上人とその十大弟子の木像が安置されている。上人は、弘仁8年(817)に83歳で亡くなり、この地に葬られた。毎年4月1日に開山会が執行される。間口、奥行きとも6間5尺(12.3米)重層宝形造り、日光山第59世公遵法親王筆の「開先院」の額が揚げられている。』
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開山堂の裏手には勝道上人の墓。玉垣に囲まれています。
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当初上人の遺骨は、仏岩の上に埋葬されるも、東照宮鎮座の際に開山堂が建てられて遺骨も移されました。
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台座正面には「勝道上人之墓」と刻まれていました。
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裏側。石燈籠も2基あります。
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隣にある3基の墓は上人の弟子の墓。
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27.5
勝道上人の墓…『日光開山の祖、勝道上人は仏岩で荼毘にふされた。当初上人の遺骨は、仏岩谷の上方に埋葬されたが、東照宮鎮座のおり、開山堂が建てられ、遺骨もここに移された。五輪塔の台石には「勝道上人之墓」と刻まれている。また、隣にある三基の墓は、上人の弟子のもの。』
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仏岩は勝道上人の墓の裏手。女峰山・赤薙山の溶岩でできた崖があり、仏像のような岩があったため、この辺一帯は仏岩と呼ばれています。また、頭上の岸壁に仏の姿をした岩が並んでいたのが、地震により岩が崩れて消失し、仏岩の名のみが残ったともいわれています。
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岩壁基部の窪みに、梵天、帝釈天、四天王のうちの3体、不動明王、頭部の無い地蔵菩薩のの7体が並んでいます。※案内板では頭部の無い地蔵菩薩を含まない6体としています。
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帝釈天。
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梵天。
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不動明王。
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頭部の無い地蔵菩薩。
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四天王のうちの3体。
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35.4
35.8
仏岩…『頭上の岩壁に仏の姿をした岩が並んでいたのが、地震で岩が崩れて消失し、仏岩の名のみが残ったともいわれる。岩壁基部のくぼみには、梵天、帝釈天と四天王のうちの三体、不動明王の石像、六体が並んでいる。』
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私が歩いた軌跡的には『日光東照宮旧社務所・日光東照宮美術館』へ続く。
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