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長坂。
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長坂は神橋前の深沙王堂(太郎杉)から勝道上人銅像前へと登る坂道。
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杉並木寄進碑。
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杉並木寄進碑(特別史跡)…『松平正綱とその子正信の親子二代が、20余年を費やして山内地区と東照宮へ通じる日光街道、御成街道、例幣使街道、会津西街道沿いの延べ37キロメートルにわたり、20数万本の杉を植え、東照宮に寄進した。この碑は、そのことを記念して、正信が慶安元年(1648)に建てたものである。同様の碑が他に3基、各街道の日光神領の境ごとに建てられ「境石」とも呼ばれる。』
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神橋前の世界遺産地区登録記念碑付近の石段から、同じく勝道上人銅像方面に行く道もあります。
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そちらの石段を登れば御旅所前を通りますが、御旅所には入ることができません。門の外から見ることは可能です。
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日光山内は、日光東照宮二荒山神社日光山輪王寺輪王寺大猷院がある一帯の総称であり、これら二社一寺及び建造物群、計103棟の建物と周辺の自然環境が「日光の社寺」として1999年に世界遺産に登録されています。
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勝道上人尊像前。
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勝道上人尊像。
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10.5
台座碑文「開山勝道上人尊像建設記」…『尊像題字輪王寺門跡大僧正榮海。尊像謹作者新関国臣。日光の美は、人工と自然と共に世界第一、「日光を見ざれば結構といふな。」とは正に天下周知の至言である。上人は天平の古昔約千有二百年以前にこの名山を開いた高僧である。本縣芳賀郡の人。天平神護二年(西暦766)山管の蛇橋、今の神橋を渡って對岸に四本龍寺を草創してこれをもって日光山の開基とする。その後霊峰男體の山頂を極めんとして幾度か挫折。禮拝苦行すること十五年の久しきに及び遂に天應二年(782)に宿願を成就した。山巓に二荒の神を祭祀し湖畔に立木観世音を建造して中禅寺を開創。ここに當山の神佛一致信仰に発祥したのである。爾来千幾百春秋。平安期には東北開発の恩人慈覚大師圓仁の来山を傳へ、後鎌倉期には将軍頼朝公の寄進の寄進田あり下って室町期末に至る當山は或は皇族の座主たるあり或は入峰修行の衆徒の充満するあり、敬神崇佛の大霊場として天下に喧傳したのである。徳川期に東照権現家康公及び大猷院三代家光公の社廟の根本を見、現に華麗燦然たる所以は實に上人の史實に由る。思ふに開山上人の偉業は正にわが日光をして今日あらしめた根基であって、特に苦練習開發の精神に至っては後世のわれ等をして奮励振起せしめるものがある。即ち上人は努力成功の権化であり、日光市民の師父であるといふべく廣くは来って日光の美を禮讃する天下の人々の決して忘却すべからざる大恩人である。ここに市制の發足に當り、われら日光の全市民は協力してこの尊像を建設し奉り、以て上人の遺徳を顯揚し永く市制施行の記念とする次第である。昭和30年4月1日日光市』
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