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巫女石(日光市指定文化財)。二荒山神社中宮祠大鳥居の横にあります。『男体山は、二荒山神社の大神が鎮まる神聖な山として信仰されてきたため、牛馬は馬返しまで、女性は深沢までが結界であり、それより上には登ることができませんでした。この石は、二荒山神社の巫女が「自分は神に仕える者であるから神罰は下らないであろう」と考え、稚児(男児)に身を変えて湖畔のこの大尻まで来たところ、女性であることが露見し、神罰により石に変えられてしまったという伝説による石であります。また、この巫女石は享禄5年(1532年)の日光山権現因位縁起には「児石」(ちごいし)とあるのが最古の記録で、天保8年(1837年)日光山誌には「巫女石」と明記されています。』
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透明度が高く、空の青より青いといわれるほど美しい中禅寺湖のすぐ横を歩いているわけですが…霧で全然見えません。
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こういうイメージで来たのに…笑
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下野國一之宮。日光二荒山神社中宮祠。栃木県日光市中宮祠。
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男体山中腹の中禅寺湖畔に鎮座。
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水神の碑。浜鳥居の横に鎮座。
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水神の碑…『大正10年9月28日建立。中宮祠渡船組合のメンバーが、中宮祠湖の水神様に感謝の誠をささげ、湖上の安全を祈願して建立された。例祭:水神際、9月5日午前10時。祭神:水波能売神。神徳:湖上安全・開運・晴雨祈願』
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案内板「下野国一之宮二荒山神社中宮祠」より…『この御社は二荒山神社の中宮で奥宮男体山頂上への登拝口に当ります。御祭神は、御神徳の高い大巳貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三神です。御社殿、鳥居等は、重要文化財で、境内地は、男体山、女峰山、太郎山等諸山を含み3400ヘクタールに及び日光国立公園の中心です。主峰男体山は海抜2486米余で華厳、白雲、般若、方等の名瀑も境内に懸っております。開山祭5月5日。登拝大祭8月1日から7日間。諸山登拝祭9月中。閉山祭10月25日。中宮祠社務所』
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石段と八脚門。
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10.5
ちなみにこちらは東鳥居。上の浜鳥居は中禅寺湖川。
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中宮祠にある銅製明神鳥居(寛政11年9月)ほか2基は国指定重要文化財です。
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男体山頂奥宮登拝口標柱。
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鳥居の脇にある牛石(UshiishiStone)。
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牛石…『明治5年まで、中禅寺湖畔は「女人禁制・牛馬禁制」に聖域でした。その禁を破った巫女は巫女石となり、牛は牛石になったといいます。この石は付近での道路工事の際に出土したものですが、かつてこの付近にあった「牛石」の一部ではないかと、いわれているものです。(巫女石は、ここから華厳滝方面に650の大鳥居の脇にあります。)』
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案内板「関東総鎮守・下野国一之宮日光二荒山神社」より…『当神社は太古より霊峰二荒山(男体山)を神鎮まります御神体山として尊崇奉祀された御社である。神護景雲年間に社殿を造営し、以来千二百年の由緒ある延喜式名神大社である。御祭神…二荒山大神三柱:大巳貴命(大国主命)、田心姫命、味耜高彦根命。御社殿…奥宮(男体山頂)、中宮祠(当地)、本社(日光山内)。(別宮)滝尾神社、本宮神社。(末社)境内各所、日光連山各山頂。主たる祭典(中宮祠)…武射祭(1月4日)、開山祭(5月5日)、登拝大祭(7月31日-8月8日)、閉山祭(10月25日)』
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社務所。社務所横に宝物館があります。宝物館では二荒山神社が所有する刀剣(栃木県指定文化財)等の多くの宝物を展示されています。宝物館については記事では省略致します。
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牛石。
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まさに牛。
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牛石(奥日光の奇石)…『平安時代より、この地は男体山登拝の為の霊場として栄え、明治時代以前までは厳しい「おきて」がありました。中でも、「馬返」より上は牛馬禁則の結界でありました。これを破って牛を引いてきたところ石にされたと伝えられるのが、「牛石」であり、牛が寝そべった姿をしていたと云われています。明治時代以降、存在が不明になっていたものをここに多くの人々の手により復元を致しました。他には、女人禁制を破って、女の人がこの地に来た為、石にされたと云われる「巫女石」が、赤い大鳥居の脇にあります。平成21年己丑10月11日復元完成』
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案内板「日光二荒山神社中宮祠」より…『【鎮座地】日光市中宮祠(海抜1230米)【御祭神】大己貴神・田心姫命・味耜高彦根命【主な祭典】男体山登拝大祭7月31日より8月7日まで。武射祭1月4日。開山祭5月5日。閉山祭10月25日。【御由緒】このお社は下野国一の宮日光二荒山神社の中の宮で幸の湖に臨み霊峯二荒山(男体山)の中腹に当るこの境域に鎮り給う。ここに男体山の登拝口があり山頂に奥宮が鎮ります。このお社は悠久の昔から当国の衆庶崇敬の的であったが今から約1200年前延暦元年(782)勝道上人が初めて登頂の大願を果して山頂に神祠を営み二荒山神を祀りました。以来関東の霊場として栄え日光連山峯の主峯男体山を中心に、女峯山・太郎山・大真名子山・小真名子山・赤薙山・前白根山・奥白根山の山頂に夫々奥宮を建てそれぞれのお山を御神体としてお祭りしています。この日光八峯、境内として広大3400ヘクタール華厳滝を始め名勝「中禅寺湖畔」「いろは坂」を含む日光国立公園の中心部であります。【御社殿】本殿・拝殿・中門・透塀が重要文化財に指定され幸の湖(中禅寺湖)に臨む銅鳥居も重要文化財であります。【二荒山神社宝物殿】皇室の御物を始め国宝・重要文化財の宝刀、男体山頂から出土した祭祀遺品を公開出陳【ふたら幼稚園】神社付属の幼稚園で当地区幼児の保育に当っている。』
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灯籠一対。
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22.5
唐門前石段。
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手水舎。
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神宮遥拝所、幸の湖に魚を放ちたるときの碑。
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幸の湖(さちのうみ)に魚を放ちたるときの碑…『幸の湖は、中禅寺湖の別名。明治の初め、それまでの魚の住まなかった幸の湖に、二荒山神社柿沼宮司が、魚を試しに放ち、翌年、奥日光湯の湖にも放ったところ、どちらもよく育った。「…されば今幸の湖と名をたゝえて、此湖につりする糸のながき世までにつたへむとす。今よりはさちゝさつ矢の遊びせむ。うみさちの山やまさちの湖。」明治11年5月25日、二荒山神社宮司権少教正柿沼広身により建立された。』
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稲荷社(中宮祠稲荷神社・正一位中宮祠稲荷大明神)。
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稲荷社と手水石。横には龍の松(中宮祠稲荷の御神木)。御利益は運気上昇・家運隆昌。
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御祭神は倉稲魂神。例祭日3月28日午後2時。文久3年創建。御利益は商売繁盛、家内安全、仕事運、健康祈願、運気上昇、良縁成就。
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唐門(中門)。
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元禄14年。切妻、銅瓦葺、棟門。国指定重要文化財。蟇股には鮮やかな鯉。
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唐門前狛犬一対(昭和47年)。
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32.2
32.4
32.8
唐門をくぐると拝殿。
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元禄14年。入母屋、銅瓦葺、桁行5間、梁間4間。国指定重要文化財。本殿は元禄14年、三間社流造、銅瓦葺。国指定重要文化財。掖門及び透塀も同様に室町時代の様式を残すものとして国指定重要文化財に指定され世界遺産登録。境内は本殿を始めとして7棟が国の重要文化財に指定されています。
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天応2年(782)、勝道上人が男体山を極めて開かれた歴史ある古社です。日光山内にある本社と男体山山頂にある奥宮との中間に位置します(中宮祠とは本社と奥宮との中間の祠の意)。男体山は二荒山神社の境内地です。
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勝道上人による天応2年の男体山登頂して社殿(現在の奥宮)を建立したのに始まり、参拝が困難であることから延暦3年(784)に中宮祠を建立。この時、同時に中禅寺も二荒山神社の神宮寺として創建されました。中禅寺と神仏習合し古くは「男体中宮」「男体権現」「中禅寺権現」とも称されました。棟札の写しによりますと、永長元年(1096)、久寿2年(1155)、永暦2年(1161)の社殿造営が確認されています。その後、現在の社殿が元禄12年(1699)に造営されます。
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本殿前(幣殿脇)の狛犬(文政2年)一対と石灯籠3対。
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37.2
37.4
37.8
神楽殿。
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山霊宮。
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39.5
山霊宮…『霊峯男体山を中心に日光連山八峯に篤い信仰を捧げた功休徳者(功績が優れ徳行のあった人々)の御霊をお祀りしたお宮であります。平成15年10月24日竣工。』
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境内にある巨大なイチイ(A株とB株の2本)のうち、A株の樹齢は推定1100年、B株の樹齢は推定1000年とされ、昭和44年10月11日にA株・B株ともに「中宮祠のイチイ」として栃木県指定天然記念物に指定。
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御神木いちい…『祈勝運上昇。邪悪なものを浄化し豊かな心と、強い精神力を与えます。栃木県の天然記念物、推定樹齢1100年。いちいの樹気は周囲を清浄にし、幸せをもたらすと言われております。いちいは一位と書いて、最高を表わし、神職の持つ笏の材料としても使われている縁起の良い木でもあります。どうぞ、1100年の樹気を体内に取込んでたくさんの元気をもらってください。』
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古くから男体山登山の表口とされており、現在も登拝口(登山口)が本殿横に鎮座。
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入口の登拝門は開山時(5月5日-10月25日)のみ門が開きます。7月31日-8月8日の登拝祭の間は中宮祠本殿から奥宮に神像が遷されます。
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登拝門前狛犬一対(昭和43年)。
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45.5
日光灯籠。
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登拝道。頂上の奥宮までは片道約3時間半ほど。距離にして約6km。1合目遥拝所までは往復20分。
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山王社。御祭神大山咋神。健康の守護神。
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奥宮千回登拝の碑(平成17年5月吉日・二荒山宮司健彦書)。
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大蛇御神像。
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男体山の「大蛇」御神像(金運・健康・良縁・勝運の守護)…『日本昔話に「戦場ヶ原の伝説」があります。むか~し、むかし、男体山の神が大蛇に、赤城山の神がムカデに変じて領地争いを行ったといわれます。赤城山のムカデに攻め寄られた時、弓の名手「猿丸」の加勢を受けて、男体山の黄金の大蛇は赤城山の大ムカデを撃退し、勝利したという話。戦いが行われた所を「戦場ヶ原」、血が流れた所を「赤沼」、勝負がついた所を「菖蒲ヶ浜」、勝利を祝い歌った所を「歌ヶ浜」、と言い奥日光の地名になっております。負傷したムカデは退散して、弓矢を地面に刺したところ、湯が噴き出しその湯で傷を癒したので「老神温泉」と言われております。大蛇を「オロチ」とも言いますが、「オ」は峰、「ロ」は助詞、「チ」は神霊を意味し、古代人は蛇のとぐろを巻いた姿が山に見えることから、オロチを山の神と称えたと言われます。勝利した男体山の大蛇は「勝運」・「金運」の守護神とされます。毎年5月の第2土曜・日曜は「奥日光大蛇祭り」が行われ、こちらの「大蛇御神像」を神輿にして、町を練り歩きます。その時は、多くのご参加をお待ち致します。平成25年4月9日建立。』
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日本昔話「赤城と日光の戦い」あらすじ(戦場ヶ原の伝説)…『昔々、赤城の神様と日光の神様は絶えず争っていた。戦の原因は、中禅寺湖が満々と水をたたえているのに対し、赤城の山は岩だらけで、水がなかったからであった。ある夜、赤城の神は、赤城の仁王に中禅寺湖の水を盗んでくるように命じた。赤城の仁王が中禅寺湖に着くと、そこには水が取られまいとする日光の仁王が待ち構えており、二人は取っ組み合いになった。赤城の仁王は、組み合いながら中禅寺湖の水を右手ですくい、素早く赤城山の方に投げた。日光の仁王が慌てて赤城の仁王の右手を押さえると、今度は左手で水をすくい赤城の方に投げた。こうして、赤城の仁王が右手で投げた水が大沼に、左手で投げた水が小沼になったと言われる。日光の神は、取られた水を取り返すべく、白蛇の大群を赤城山に向かわせた。ところが、赤城山の岩陰からはムカデの大群が現れ、白蛇の大群を返り討ちにしてしまった。勢いにのった赤城勢は、中禅寺湖まで攻め込み、中禅寺湖を自分達のものにしようとしていた。そして、劣勢に立たされた日光の神は、鹿島の神様に相談を持ちかけた。そこで、奥州の厚樫山のあたりに猿丸という弓の名手を知らされる。顔は猿に似ていて可愛げはないものの、広く厚い胸と丈夫な息づかいは、見るからに頼もしそうだった。猿丸が昼寝をしていると、一匹の立派な白鹿猿丸の前を駆けていった。猿丸は、得意の弓で白鹿をしとめようと後を追った。すると白鹿は岩の上に立ち、こう猿丸に言った。「私は日光の神で、白鹿に姿を変えてここ日光男体山にあなたを呼んだ。今、赤城の軍勢は中禅寺湖の水を狙って攻め込もうとしている。もし、赤城の軍勢を撃退したなら、ここ男体山をあなたの狩場として与えよう。」猿丸も日光の神とは親戚同士なので、加勢しないわけにはいかなかった。翌朝、猿丸が中禅寺湖の西に立つと、地響きと共にムカデの大群が赤城の方から攻めよせてきた。そして、日光の方からは白蛇の大群がこれを迎え討った。ところが、時間がたつにつれて蛇の大群はムカデの大群に押されて後退し始めた。その時、白蛇の中から金色のうろこを盛った大蛇が鎌首をもたげた。この大蛇こそが日光の神であった。すると、赤城方からはムカデの大群の中から一匹大ムカデが現れ、大蛇の首に巻きついた。あまりのすさまじい戦いに息をのむ猿丸であったが、日光の神との約束を思い出し、大ムカデに向かって矢を放った。猿丸の放った矢は、見事大ムカデの左目に命中した。さすがの大ムカデも急所を射られてはどうしようもなく、すごすごと赤城の山中に退却していった。そして、赤城の神は片品川のほとりで目に刺さった矢を抜くと、矢で岩をつつき温泉を出して傷ついた左目を癒した。これが今の老神温泉で、ムカデと蛇が戦った跡が「戦場ヶ原」といい、血が流れた所を「赤沼」、勝負がついた所を「菖蒲が浜」という。』
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扇の的弓道發祥之地。
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さざれ石。
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さざれ石(細石)…『「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」国歌「君が代」に歌われることでその名が知られています。学名は「石灰質礫岩」と言われ、岐阜県境の伊吹山が主要産地。石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、そのとき生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝固してだんだん巨石となったものです。俗に「子持ち石」とも呼ばれ子授け・子孫繁栄の縁起の良い石と言われております。この「さざれ石」は男体山登拝講社「晃南講」設立35周年を記念して、平成20年5月5日に奉納されたものです。この「さざれ石」は群馬県産のものです。』
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男体龍水
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男体龍水(銭洗い)…『現在の中禅寺湖は、明治天皇が「幸の湖」と名づけられましたが、古くは「南湖」と呼び、この湖の水を汲み上げて、神々に捧げ、有難く飲み水にしておりました。またお祀りされている弁天様は財運の神様でお金を洗うと金運に恵まれると言われております。※龍のかかえた石は、男体山の形をした石で、幸の湖のほとりから掘り出されたものです。』
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福禄寿(以下中宮祠七福神)。子孫繁栄。
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頭が異様に長く、豊かな白髪をたくわえた、背の低い老人の姿で描かれる、幸運と子孫に恵まれ金銭にも恵まれて、長生きするといわれる。
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布袋尊。幸運・至福。
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巨大な太鼓腹に、いつも半裸という風体。杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の回りの持ち物を入れて、吉凶を予測すると必ずあたったといわれる。布袋和尚。「泣いて暮らすも一生。笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせ」といった、楽天的な生き方をさずける。
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寿老神。長寿・平和。
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黒い頭巾を被って杖をつく老人の姿で描かれている。この杖には一軸の巻物が結び付けられていますが、これには人間の寿命が記されているといわれる。
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恵比須神。家内安全・商売繁昌。
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狩衣・指貫に風折烏帽子をかぶり、左脇に鯛をきて右手に釣竿を持つ姿は、有名ですが、その釣竿は「釣りして綱せず」すなわち暴利をむさぼらない、清い心を象徴しているといわれ、そこが商売繁昌の神様として人気を集めた所以です。
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毘沙門天。財宝・福徳。
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甲冑に身を包んで厳めしい表情をしている。災難を免れ、命を延ばし、金銀財福を得ると言われる。
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大国様。招福・良縁。
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大国様は大国主命で、二荒山神社の御祭神です。大国様の姿は頭巾をかぶり、打出の小槌を持った姿が有名ですが、二荒山神社には小槌を持たずに、手招きをしている「招き大国」が祀られております。大国様は幸福と良縁をもたらす神様です。
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弁財天。芸能・福財。
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技芸の神として崇められ、市杵島姫命と同一視され、琵琶を抱く色白の美女の姿で表され、水の神様とされ、お金を洗うと福銭となり、倍になって戻ってくると伝えられる。
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