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栃木県宇都宮市曲師町。宇都宮二荒山神社前からみはし通りへ。バンバ通りとオリオン通りが交わる交差点付近に鎮座。釜川に架けられた御橋が近くにあります。
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曲師町は江戸期宇都宮城下町の1町で、町名の由来は天和年間に曲物師が当町に移住してきたことによると伝えます。南部の釜川沿いは元和年間以前は箒地と称する空地。当町の西端及び東南端には釜川に架かる橋があり、それぞれ一ツ橋・御橋と呼ばれました。一ツ橋を通じて大手門前の広小路と繋がり、御橋を通じて宇都宮城内と繋がっていました。但し、御橋は城主が宇都宮大明神へ参詣する際に利用され、普通の人は渡ることはできなかったといいます。江戸初期から地子免許。元文年間町方書上帳によりますと、名主九兵衛・又右衛門、町並みは東西長さ1町55間・道幅4間、町家は南側40軒・北側35軒、うち本家32軒・小割家44軒、木戸2か所・番所2か所、弁才天1社、天台宗昌泉寺、成就院跡屋敷、ほかに会所坊寺院として真言宗玉泉院があり、町高は81石余。明和8年町方書上帳には、家数62軒、この坪数980坪余と見えます。また、釜川は御手洗で大明神参詣人の垢離場であり、「釜川御橋の上ぞへ川中を掘りて大釜を拵、行場の助けとせしハ鉄砲町角屋吉兵衛、文政十二年ニ寄附する所也」と記しています。寛政年間の諸職人諸商人留によりますと、桶屋4・檜物屋4・研屋2・材木屋1・素麺屋1・菓子屋1・紺屋1・仕立屋1・椶櫚箒屋1・車細工1・畳屋1・道者宿1等が見え、賑わいを見せていたことがわかります。明治初期には曲師町裏通りが当町と別に把握されることもありましたが、明治22年当町の一部となっており、同年宇都宮町、同29年からは宇都宮市の町名。明治以降バンバ仲見世商店街で賑わいをみせ、二荒山門前馬場の南口にあたることになり、このため町内からはもちろんのこと近郷近在からもよく人の集まるところとなりました。昭和36年にバンバ仲見世商店街が取り払われた後も宇都宮中心商店街の一画を担っています。昭和49年一部が中央本町・二荒町となり、鉄砲町・馬場町・旭町1丁目の各一部を編入。現在は江野町オリオン通りから一続きの形でアーケード街が東西に走り、店舗の改装が進んで近代的な店舗がみられるところとなっています。
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琴平神社は昔この近くにあった松巌寺(松岩寺)の境内に祀られていた神社で、昔は御橋を超えて宇都宮城の方に鎮座していたようです。その境内に金比羅大権現と稲荷大神を祀ったのが始まり。地元では御橋金比羅(琴平)さんと呼ばれ親しまれているようです。松巌寺について調べても宇都宮市に存在していないようです。ネットで探してみると「延宝6年開創、伽山良茂和尚開山、奥平昌章開基、奥平家6代昌章実父の菩提寺」と出てきますが、場所は大分県中津市です。奥平昌章は出羽山形藩第2代藩主、下野宇都宮藩初代藩主、中津藩奥平家4代。次男の奥平昌成が家督を継いでいますが、享保2年中津への転封に伴い中津に移転。
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石灯篭一基。
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台座より…『先の太平洋戦争により昭和20年7月12日、宇都宮はアメリカ軍の空襲を受け琴平神社は全焼し石燈籠も被害を受けました。さらい大正4年5月10日献燈された石燈籠も戦後60年余を経過し損傷が激しく、少し傾き亀裂を生じましたので石燈籠を再建いたしました。また、日頃ご参拝いただいております方々にも多くのご寄進をいただきました。ご寄進者の方々のお名前は、銘板に彫り込んで貼付し、ご寄進行為を末永く顕彰させていただきます。曲師町琴平神社。平成20年12月吉日。※以下石燈籠再建奉賛者名は省略』
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手水石。
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紀年銘は昭和8年12月23日。皇太子殿下御降誕記念奉献。上部の「曲師町」の文字が面白いですね。
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獅子が四隅を支えております。
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社殿向って左に琴平神社。
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主祭神大物主神。
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社殿向って右。
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正一位稲荷神社。
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社殿脇(建物は繋がっています)に足尾神社・道隆神。
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足尾神社は足の守り神として旅人などから篤い信仰を集めました。道陸神は御神体は石製の男根とのことですが確認はできず。
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宮の細道「琴平神社(曲師町)十番」…『主祭神大物主命(もともとは大国主命)清住町の琴平神社も勿論同じ祭神であるが、こちらは江戸も中期に創立されたらしい。その時稲荷神も併せてまつったとのこと。バンバの繁雑さの外に静かなたたずまい。全くこじんまりと無駄なくまとまった風格、いい神社である。』
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