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毎年7月31日から8月4日に八戸市で行われる神社神道の祭礼。ユネスコ世界無形文化遺産、国指定無形文化遺産など様々な文化遺産に指定されており、東北地方最大級の神事。
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7月31日の前夜祭、1日のお通り(神幸祭)、2日の中日、3日のお還り(還幸祭)、4日の後夜祭という日程で行われます。
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「三社」とは八戸市内に鎮座する法霊山おがみ神社(法霊神社)・長者山新羅神社・神明宮。三社の神輿行列と市内各町を中心とした組の20数台の華麗な人形山車が神社の氏子として八戸市中心市街地を巡行。
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平成16年2月6日に「八戸三社大祭の山車行事」として重要無形民俗文化財に指定。平成28年11月30日に八戸三社大祭を含む全国33の「山・鉾・屋台祭り」がユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載が決定し指定。
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なお、ポスターなどに書いてある「300年の歴史と伝統」などというのは、あくまでも祭りの始まりである法霊社祭礼(おがみ神社例祭※2020年に300年目を迎える)のことであり、三社大祭としては平成28年に130年目を迎えたと考えられています(諸説あり)。
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江戸時代の享保5年(1720)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現おがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願した折、無事に秋の収穫を迎えることができました。翌年(1721)、陸奥國八戸藩総鎮守として、藩主をはじめ町民より厚く信仰されていた法霊社(現在のおがみ神社)に対し、日和乞並びに豊作感謝の意を込めて、神輿を長者山虚空蔵堂(明治になり神仏分離令により長者山新羅神社)に渡らせたのが三社大祭の始まりです。
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当時は法霊社の神輿行列は、市内を神幸渡御し長者山に到着後、中日には長者山で法霊社別当(現おがみ神社宮司)によって例祭が執り行われ、3日目に行列ともども法霊社に還御するという祭りでした。後にその神輿行列に対して踊りや屋台山車などを奉納する形で町民がついて回り現在の形へと繋がっていきました。
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江戸時代当時法霊社祭礼は藩による運営で、神輿行列許可、祭礼日程などは全て藩によって取り仕切られ、要職にあった家臣が徒目付や奉行として行列運行の役を担っていました。また、城内二ノ丸に鎮座していた法霊社は、すぐ近くに南部家の居城があった関係で一般の参拝が許されていませんでしたが、祭礼の時期だけは午前8時から午後4時までの間のみ、一般領民などの参拝が許されました。
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現在は、三社大祭を執り行う根拠となる法霊山おがみ神社の神社行列に加え、明治期になって衰退していた大祭の再興を目的とし、大澤多門の発案により参加した長者山新羅神社(明治17年)、神明宮の各神社行列(明治22年)、それに附祭として合計27台の豪華絢爛で巨大な山車が市内中心部を運行する形となっています。
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おがみ神社の例祭に新羅神社と神明宮が参加してからは、元々中日例大祭に長者山で執り行っていたおがみ神社宮司による例大祭や直会による振る舞いなどが長者山新羅神社の例大祭へと変化し、おがみ神社御神輿や神職が長者山へ逗留する事も廃止され、現在は各神社日帰りの祭りになっています。
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各神社への附祭となる山車の大きな特徴は人形がせり上がり、左右の大きく広がる仕掛けを持つ豪華な山車にあります。当初は1体の人形を乗せる程度だったものが、明治の中頃より物語を表現する山車に変化し、昭和50年代頃から徐々に仕掛けが施されるようになりました。山車は町内ごとに製作されますが、これも明治時代に大澤多門が発案したものと言われています。
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明治時代の中頃までは、江戸時代の影響を色濃く残した人形山車が使用されていました。明治20年頃から様々な飾りをつけた風流山車と呼ばれる山車が流行し、江戸時代からの伝統的な山車は衰退していきました。祭における当時の山車の位置づけは「附祭」とされましたが、明治30年代から「山車」との表記が定着するようになります。明治時代の山車の構造は、台車、岩や波などの飾り、人形の三層構造の山車となっています。
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大神楽。獅子舞が伊勢神宮や熱田神宮の信仰と結びついて芸能となったもの。お伊勢参りに行くことができない人のために地方を巡回していた神楽に始まり、やがて地方に定着したそうです。
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山伏による神楽の一つで、おがみ神社にて伝承されてきた法霊神楽。数人の舞手が獅子頭を一糸乱れずに打ち鳴らす「一斉歯打ち」が響きます。
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駒踊。
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馬産地である三八上北・岩手県北地域に分布する芸能で、馬の模型を胴に固定し、跳ねるように舞います。
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虎舞。東北の太平洋岸に多く分布し、火伏せや航海安全に関する信仰として伝承されてきました。八戸市内でも鮫・湊・小中野・新井田などいくつかの地域に虎舞が伝えられており、八戸三社大祭の行列の中で披露されます。
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地面を一斉に転がったり、肩車によって立ち上がったりするアクロバティックな演技を見せてくれます。また、虎に頭を噛まれることで無病息災のご利益が得られるとのことです。
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虎舞が一番盛り上がっている印象を受けました。
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山車はいつトランスフォームするかわからないので目が離せません。
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ほぼ一ヶ所に留まって見ていたのでわかりませんが、大体同じ場所でトランスフォームする印象でした。
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よって、そういった場所の数十メートル手前が見やすいかも知れません。
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目の前でトランスフォームされても大きくて全体像が見えないので。
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山車は横も後も見応えがあるので見る側も中々忙しいです。
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動画撮影をしようと構えていても、場所によっては下の写真のようにトランスフォームされないまま素通りされます笑
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ちなみに私はこの付近で見ていました。
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なぜならパチンコ屋内から冷風が流れてきて涼しかったからです笑
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はす向かいには八戸屋台村みろく横丁入口。裏は鷹匠小路。二万石八戸南部藩が創設された寛文の頃(1660-1673)藩主の近習で供廻りの、鷹匠と呼ばれた武士が住んで町内が形成されたことから鷹匠小路と名付けられました。鷹匠は後に移動しましたが、明治の初年までは藩主譜代の家臣が住む、武家屋敷街を構成していました。(陸奥國南部八戸藩御城下鷹匠小路略図より)
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馬に注意!かつて神輿台車を引いていた馬が暴走して骨折などの重軽傷者を出す事故が発生しているようです。
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以下、八戸三社大祭令和元年山車題名。
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〇神明宮
(1)廿六日町山車組(二番組 令和元年 寿ぐ)
(2)新荒町附祭若者連(源頼光と四天王大江山にて鬼を討つ)
(3)上組町若者連(浦島太郎を見送る乙姫)
(4)根城新組山車組(伝説海彦山彦「天女と平和を願う」)
(5)賣市附祭山車組(百合若伝説)
(6)吉田産業グループ山車組(「義経千本桜」妖狐 狐忠信)
(7)白山台山車組(新皇・平将門の乱~北辰妙見と七人影武者伝~)
〇おがみ神社
(8)柏崎新町附祭(鬧天宮 孫悟空)
(9)淀山車組(「夢・宝船」開運招福・祝いづくしの躰)
(10)城下附祭(立身出世金太郎~金太郎、改メ坂田金時~)
(11)新井田附祭振興会(平和祈念令和「即位の礼」)
(12)青山会山車組(令和元年山車絵巻「神代三剣」)
(13)朔日町附祭(大江山 酒呑童子退治)
(14)十一日町龍組(楊貴妃)
(15)塩町附祭組((新)娘道成寺)
(16)下大工町附祭若者連中(西遊記玉華城の戦い)
(17)下組町山車組(海神新田義貞 鎌倉攻め)
(18)内丸親睦会(湧昇水鯉滝 鯉つかみ)
〇新羅神社
(19)六日町附祭若者連(瀧夜叉姫)
(20)類家山車組(「三つ鱗」相州江ノ嶋鎮座辨財天と宗像三女神 北条紋由来)
(21)十六日町山車組(「西遊記」妖怪の女王 白骨夫人の戦い)
(22)鍛冶町附祭若者連(古代みちのく絵巻 坂上田村麻呂 奇譚)
(23)八戸市職員互助会(富士浅間 三國一夜物語)
(24)吹上山車組(壽 三升景清)
(25)八戸共進会山車組(新桃太郎)
(26)糠塚附祭組(彦火火出見「神武東征」)
(27)長横町粋組(吉祥七福神~其の壱~千寿・弁才天)
(28)華屋台  
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長くなりましたので、『八戸三社大祭(お還り)』へ続く。
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