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秋田県鹿角郡小坂町十和田湖大川岱。
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十和田湖増殖(漁協)ひめます大川岱販売所近く。
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西湖畔に佇む和井内神社はヒメマス養魚の始祖和井内貞行と妻カツが祀られている神社です。
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西湖畔遊歩道・和井内神社…『明治38年(1905)に、私財を尽くして十和田湖でのヒメマス養殖を成功させた和井内貞行と妻のカツをまつる。貞行の事業を支えたカツが亡くなった後、湖畔住民がその徳を慕い、明治41年(1908)に勝漁神社(勝漁社)を建立したのが最初。大正11年(1922)に貞行が亡くなると、貞行の御霊も合祀された。昭和8年(1933)に和井内神社に改名。現在の拝殿は昭和52年(1977)に改築されたものである。春の祭日は、カツの命日である5月3日。秋の祭典は、貞行合祀の9月21日。』
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和井内神社の由来(※かなり消えかかっています。間違っているかも知れませんが意味は大体わかるかと。)…『本神社は、和井内貞行翁並にカツ子夫人を祀る。カツ子夫人逝去するや、湖民が生前の業■を偲び、報恩感謝の念、■だし難く敬慕の■まり、互いに資材、資金、労力を■■て祠を建て、夫人の冥福、養魚の豊漁、住民の幸福を祈願し明治41年3月3日、勝漁社と命名、湖畔の鎮守氏神として齊き祀ったのが肇りである。大正11年、和井内貞行翁の逝去と共に、合祀し昭和8年、社名を和井内神社に改め、春秋、祭事を存続して今日に至っている。和井内貞行翁夫妻は、明治17年当時全く魚の生息しない十和田湖に■■■■福祉を悲願し敢然養魚を試み実行した。通説、迷信、罵言、嘲笑、赤貧と■■失敗、試練に不撓不屈■■■■明治12年、明治38年、遂に初志貫徹を貫き■鱒に成功して、今日の十和田湖繁栄の礎石を築いた。更に、十和田湖の景勝を天下に宣伝、あるいは和英両文写真版の案内書及び絵葉書の作成配布、あるいは、東都の新聞記者団を招き、その紙上に或は出版に、また、学識者各方への研究依嘱■、国立公園指定の布石を果し得た功績は偉大である。十和田湖発展の大恩人として、敬慕の灯は遍く、永遠に継がれ消ゆることを知らない。昭和52年12月2日高瀬博撰文、高橋克三監修、高田実謹書』
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手水舎。
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石灯籠一対(大正9年8月3日)。
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和井内貞行(1858-1922)は秋田県十和田湖開発の先駆者。南部藩領陸奥国鹿角郡毛馬内村生まれ。明治14年(1881)、工部省小坂鉱山寮に吏員として採用されて小坂鉱山に赴任。鉱山勤務のかたわら十和田湖養魚事業に着手。明治17年(1884)、鹿角郡長小田島由義、十輪田鉱山長・飯岡政徳の許しを得て、初めて鯉600尾を十和田湖に放流。それ以前の十和田湖は魚一匹住まない湖でした。和井内貞行は何度も失敗を繰り返すも辛抱強く研究を続けました。明治26年(1893)10月14日、青森・秋田両県知事より十輪田鉱山の鈴木通貫、宇樽部の三浦泉八との連名で、和井内貞行に対し魚族養殖のため満八ヶ年十和田湖使用許可。明治30年(1897)に十和田湖畔に旅館「観湖楼」を創業。十和田湖養魚事業を進めるべく人工孵化場を作ります。
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明治36年(1903)にヒメマスの稚魚を放流。明治38年(1905)10月に成魚となって回帰したことにより、ヒメマス(カパチェプ(kapacep)鱒・後にヒメマスと命名)の養殖に成功。養魚事業の成功はその後の十和田湖の観光にも大きな影響を与えました。明治39年(1906)和井内貞行「生出」に日露戦争戦捷記念として新しい孵化場を新築。明治40年に養魚事業の功績により緑綬褒章を授けられましたが、長年苦労をともにしてきた妻のカツが病に倒れ、46年の生涯を閉じます。湖畔の人々はカツの温情に感謝して、秋田県鹿角郡小坂町十和田湖大川岱に勝漁神社を建立して御霊を祀りました。大正11年5月16日に和井内貞行も病気にてその生涯を閉じ、湖畔住民その死を悼み、カツと共に勝漁神社に祀られ、後の昭和8年に和井内神社と改称。昭和21年11月20日に神社本庁より承認を受け今日に至っています。
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向拝蟇股。
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木鼻。
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向拝下神額(願主小笠原三四郎・小笠原光男)。
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向拝下蜂の巣((( ;゚Д゚)))
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蜂はいませんでした。
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十和田湖國立公園指定五十周年記念奉納(昭和61年8月吉日、小坂町俳句会、小坂町老壮大学文芸倶楽部齋藤春雄謹書)。「山湖今水色の刻鳰遊ぶ」万谷、安保伊都子。「冷えるまで湖の朝焼見ていたく」小坂、一戸芦灯。「春蝉や湖畔の径に声落とす」小坂、岩谷勢記。「にほどりの水尾きらきら湖に春」小坂、窪田三千雪。「木々の芽の彩を競ひて湖囲む」小坂、栗山小八郎。「今は亡き友の艪声や夏の湖」小坂、斉藤はるお。「湖拓く翁の神社杉落葉」小坂、佐々木かずお。「湖岸打つ波の髙まり昼蛙」小坂、佐々木よしのぶ。「夏木立写りて湖のいろ濃くす」小坂、佐藤キミ。「姫鱒の稚魚放す湖藍深く」小坂、沢田津内。「昼蛙湖の民宿芥焼く」小坂、清水けん一。「郭公のこだまの湖や神の杉」小坂、杉沢つな。「湖紺碧茂りゆたかに二タ岬」秋田市、杉山宙。「朴咲けり湖には走る魚の影」小坂、鈴木もと。「鉱山男舳先叩きて夏の湖」小坂、関静生。「暮れかかる湖を灯せり蝮草」小坂、故髙橋灯青。「万緑や鏡の如き朝の湖」茨城県、田口操舟。「みづうみに青葉若葉の影深し」小坂、土井口ヱイ。「石楠花や湖となるまで水白し」小坂、故成田キツ。「手を浸し湖の秋身に浸し」小坂、成田ゆたか。「めぐり合ふ二人静に湖の風」小坂、畠山利代。「カルデラ荘昼のお膳にミズと鱒」静岡市、畑沢松恵。「遠郭公湖上に手をふる別れかな」小坂、林幸女。「双岬は大蛇のかたち霞む湖」小坂、船水参夢郎。「万緑を千古の湖が写し容れ」小坂、故森田まさ。「おだまき群れ和井内神社森の中」小坂、横田キク。「茂る中みづうみ護る神のあり」秋田市、湯瀬輝代。「山桜うす紅に湖目覚む」秋田市吉岡健法子。
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本殿。御祭神は事代主命、正七位和井内貞行、和井内カツ子。例祭日10月21日(5月12日)。和井内貞行翁は日夜事代主神を崇敬していたそうです。
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っていうか本殿完全崩壊((( ;゚Д゚)))
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きっと修繕されるはずです。
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行ってませんが拝殿横に道がありました。登山道へ繋がる道かな。白地山登山道(ミソナゲコース)と白地山登山道(大川岱コース)が近くにあります。
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