1
秋田県仙北市角館町田町上丁。角館には2つの武家屋敷通りがあり、その1つ田町武家屋敷にあるのが西宮家です。
2
明治後期から大正時代にかけて地主として繁栄し、その時代に建てられた5棟の蔵と母屋は、大正ロマンにあふれる古き良き時代を今に伝えています。春は桜、夏は巨木が木陰を作り、秋は柿の実が色づき、冬の雪は蔵の黒をひきたたせ、東北の四季を味わうことができます。
3
西宮家の先祖は慶長7年(1602)に秋田へ移ってきた佐竹氏の家臣。佐竹氏の一門の芦名氏は角館を任されましたが、その時の城下町は現在の田沢湖町神代につくられていました。ところがこの地は狭い上に度々火災や水害に見舞われたため、芦名氏は新しい城下町を作ることにしました。実行に移したのは角館に入って18年目の元和6年(1620)のこと。この新しく作られた城下町で、西宮家のある田町に居住していた武士団(80戸ほど)が今宮武士団と呼ばれ、角館を領する芦名氏や佐竹北家とは一線を画す秋田佐竹本家の直臣たち。その今宮武士団の生え抜きに西宮織部という人がおり、西宮家の祖となる人物。明治になり戸長役場が置かれ、ようやく近代的な行政組織が芽を出します。明治22年には全国的に市町村制が交付、4月に角館町でも町長選挙が行われ、西宮家の当主藤剛さんが当選して初代の町長となりました。藤剛さんは若い時に東之助と名乗っており、明治元年8月の戊辰戦争には父の藤昌とともに従軍。4年の任期を終えて次の方へバトンタッチしたところ、町の中央部から火災が発生して小学校や役場が焼失。重要書類も殆ど焼けてしまいます。その責任を感じ町長は辞職。次の方も1ヶ月で辞任し、再建も中々進まず、懇請されて藤剛さんは再び町長に就任。財政的にもどん底の町を立て直すために、足げく東京に通い再建の見通しがついた翌年に退任。それから3年の間、3人の町長がその職に就きましたが、明治37年に3度目の町長に就任し3年7ヶ月勤めました。明治後期から大正時代にかけては地主として最も繁栄し、その時代に建てられた5棟の蔵と母屋は西宮家の栄華を今に伝えます。
4
田町武家屋敷と西宮家…『城下町角館は北に佐竹北家家臣団が、南に今宮家家臣団が居住して統治し、この田町は今宮家家臣団の中心地でした。今から380年ほど前の江戸時代初期、角館の町造りが行われた時からこの地に住みました。最初に入ったのは86家でした。今宮家は佐竹氏と縁続きの一門で直臣の誇りを持ち、修験の頭梁として秋田藩の中で大きな力を持ち、祈願所や寺社などの管理もしていました。西宮家は今宮家臣団の中で重きをなし、「寺山五十五騎」と呼ばれた中心武士団の一員として、この地に移住する前の常陸時代から名を連ねています。』
5
案内図と説明。※説明は下記
6
6.5
西宮家の歴史…『城下町角館には2つの武家屋敷通りがありますが、南側に位置するここ、田町武家屋敷は元和6年(1620)角館を治めていた佐竹一族の芦名氏による町造りの際、佐竹氏の直臣である今宮氏とその武士団が移住し、形成されました。今宮武士団の中でも、重んじられていた西宮家は、地主としても明治後期から大正時代にかけて最も繁栄します。明治後期の当主西宮藤剛氏は、角館町の初代町長就任から度々町長を歴任し、町の歴史を振り返っても重要な人物で、町政に貢献するなど各方面でリーダーシップを発揮しました。明治後期から大正時代に建設された、西宮家の繁栄がしのばれる「五つの蔵と母屋」が、時代を重ねて今に伝えられています。』
7
案内絵図。
8
母屋は明治中期に建設。
9
9.4
9.8
囲炉裏部屋・奥座敷・中座敷・二階座敷と4つの部屋があります。
10
昔のままのお座敷の中で、お茶やお食事を楽しめます。
11
母屋…『明治中期に建設され、時代時代の生活に合わせて、度々増改築が行われてきました。ここには、西宮家代々の歴史が刻み込まれています。昔のままのお座敷で、お茶やお食事をお楽しみ下さい。』
12
石祠。
13
前蔵。
14
大正8年に建設。1階は北浦地方(田沢湖町、西木村、角館町、中仙町)の特産物を販売。2階は西宮家や角館町を紹介。2階のスペースはコミュニティ空間として様々な用途で利用されているようです。
15
前蔵…『大正8年に建設され、小作米の検査をする事務所として使われていました。(※以下案内地図の貼り紙で見えず)』
16
前蔵と母屋の間の井戸。
17
前蔵の隣にはガッコ蔵。イベントや企画展を開いています。
18
ガッコ蔵は古くからがっこ(漬け物)を貯蔵するのに使用された蔵。がっこの販売もしています。
19
ガッコ蔵と母屋(はなれ)の間。
20
中庭。
21
21.5
文庫蔵へ。
22
HPによりますと明治27年に上棟した西宮家では最も古い蔵。
23
文庫蔵…『建設年代は定かではありませんが、古文書や陶磁器などの貴重品を保管していました。現在、1階は西宮家に残る角館の文化遺産の数々を展示しています。また2階では西宮家の冠婚葬祭で使用された貴重な食器等の品々を昔の収蔵状態で保存展示しています。』
24
入口にあった人力車。
25
25.5
人力車由緒書…『寄贈者:角館町西長野字古寺、髙橋キミエ、(故久晃)の母。大正13年、亡夫三治郎氏が千畑村千屋佐々木長八家より婿入りの際に持参したもので、座席下に秋田県大曲警察署六郷分署の刻印がある。人力車としては晩期のもので、座席の作り、曳き手の彫刻、漆塗りの泥除けなどに自家用としての豪華さが見られる。当時自動車は珍しく、自家用人力車は資産家としてのスティタスインボルでもあった。因に、大正14年の角館人力車組合員は14名とある。』
26
26.5
蔵の中へ。
27
2階建ての蔵の中には、現在は途絶えてしまった角館春慶(伝統的な技法の塗り物)をはじめ、西宮家に伝わる文化遺産の数々を展示。
28
28.5
細かい説明は省略させて頂きます。
29
29.5
是非現地を訪れて楽しんでください。
30
当時の玩具などもありました。
31
北蔵へ。大正8年頃に建設。大正時代の洋食店のムードあふれるミルクホール(レストラン)になてちます。重厚な蔵と光りあふれるサンルームで、こだわりの味をご賞味ください。
32
北蔵と米蔵の間。
33
米蔵へ。
34
米蔵は明治43年に建設。西宮家で最も大きな蔵で、重厚な造りの象徴として太い梁が印象的。
35
35.5
現在はショッピングゾーンとして活用されています。また、古い筆筍を使ったディスプレイも一見の価値あり。
36
西宮家米蔵の隣には外町交流広場があります。
37
イメージ 3
イメージ 2