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秋田県角館町東勝楽丁。
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武家屋敷岩橋家(秋田県指定史跡)。
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角館はしばしば火災の発生で多くの家屋が類焼。特に明治33年の大火では262戸を失くしますが、東勝楽町で焼失を免れたのが岩橋家と河原田家です。岩橋家の屋根は元は萱葺きでしたが、明治30年頃に木羽葺きに替えたおかげで大火でも焼けなかったと伝えます。以後、内町の屋敷は木羽葺き屋根が主流となりました。
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屋敷内には栗、赤松、山モミジなどの樹木が多く、中でも樹齢300年前後と推定されるカシワの巨木は秋田県内でも非常に珍しいものです。
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天然記念物岩橋家のカシワ…『樹高22.5m・直径1.03m・樹齢300年前後(平成11年10月12日調査)』
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岩橋家は会津からの葦名氏譜代の家臣でしたが、主家の浮沈の運命に翻弄されながら、佐竹北家の組下となり、禄高も減少しましたが、屋敷の広さはほとんど変化しておらず、江戸時代・藩政時代の中級武士屋敷としての当時典型的な様式を現在にとどめています。
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なお、映画「たそがれ清兵衛」撮影場所にもなっています。冬期間は「角館冬がたり」も開催。
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武家屋敷岩橋家(秋田県指定史跡・昭和48年12月11日指定)…『岩橋氏は、南奥州の名門会津黒川城主芦名氏の重臣であった。天正17(1589)年芦名氏が伊達政宗に敗れ、兄である常陸の佐竹氏を頼り常州へ移り、江戸崎において秀吉から4万5千石を与えられると、岩橋氏も芦名氏に随従して江戸崎に移った。関ヶ原の戦い後、慶長7(1602)年佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館1万5千石を与えられた。岩橋氏は一時江戸崎を立退き津軽氏に3百石で仕官していたが、主君の角館居住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。芦名氏が承応2年(1653)三代にして断絶するに及んで、代わって角館所預となった佐竹北家の組下として(86石)、廃藩に至るまで仕えた。この建物は、江戸時代末期に改造され、屋根も茅葺から木羽葺にかわったが、角館の武士の生活を今に伝えている。』
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岩橋家屋敷平面図。
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