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秋田県仙北市角館町表町下丁。武家屋敷通りの北端に位置。角館の武家屋敷のなかで現存する最も古いものです。モミや枝垂れ桜など樹齢250年を超える深い木立ちのなかに、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されています。見学可能ですが、現在も直系の家族が住み続けているため、客間などの母家一部、蔵、庭など、家屋敷の半分程度を公開しています。
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道路に面して排水溝があり、これは蘆名義勝の城下町建設にともなうもので全町をおおっています。薬医門には文化6年(1809)4月27日と書かれた矢板があり、道路側にはのぞき窓を付けた黒板塀をめぐらしています。この塀の着色には柿のシブが用いられているそうです。門を入ると、起こり破風に懸魚のついた正玄関と脇玄関があり、二つの玄関を持つのは身分の高い武士の家でした。石黒家は、佐竹北家の用人を勤めた家柄で、財用勘定といった財政面の役職についていました。主屋の建築年代は、薬医門より以前であることは確実で、18世紀から19世紀にかけての頃と推定されています。屋根は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が緑にしたたり、簡素なたたずまいのなかに武家の格式を漂わせています。築山や巨石が置かれていますが池はなく、樹齢300年のモミの大木をはじめ各種の常緑樹やモミジなどの落葉樹があり、東屋をともなっています。なお、常緑樹は火災発生時の緊急に備え、火の粉がかからないようにと植えられたもの。
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石黒家の周辺6.9㌶は武家町として江戸時代の街並みや建造物の古式をよく遺していることから、昭和51年に長野県の妻籠宿や京都市の産寧坂などとともに、日本で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区として選定。角館の石黒家は、明暦2年(1656年)に断絶した蘆名氏に代わって角館所預として入部した佐竹北家の佐竹義隣に召抱えられた石黒勘左衛門直起を初代としています。直起の父、石黒采女正(権兵衛)直之は越中国出身の牢人で、当時院内銀山の鉱山町として栄えた出羽国雄勝郡上院内に移住した人物でした。初代直起当初の石黒家の住居は、現在地より西側、檜木内川に近い川原町に所在しており、家格は家老格の小野崎家(200石)に次ぐ150石取り、財政を担当する用人として佐竹北家に仕えました。家伝によりますと、8代石黒隼人祐直信が、住居を嘉永6年(1853)に蓮沼七左衛門から買い受け、青柳家の北に隣接する現在地に移転。なお、石黒直信は、幕末から明治初めにかけて家塾「紅翠亭」を開き、学問の普及に尽力した人物で漢詩集として「毅堂詩集」を残しています。明治14年には戊辰戦争で官軍側に立った久保田藩を援助し、犠牲者を出した旧肥前国大村藩を訪れています。9代直幹(蒙斎)も漢詩を好み、晩年には角館町長を務めており、10代直豊は中等教育に力を注いで角館図書館の初代館長を務めました。現代の12代目当主石黒直次は、平成17年3月より角館町長に就任。最後の角館町長を務め、同年10月の平成の大合併後の選挙では仙北市の初代市長となりました。
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石黒家…『角館で現存する武家屋敷では最も古く、勘定役を務めていた最上武士の家屋。唯一座敷に上がって、武家の生活様式(歴史・文化)について案内を聞きながら見学できる。現在も直系の子孫が住み続け、一部を公開。』・常設展示…『●古文書と古書籍…旧角館町割絵図(模写)、「解体新書」関連資料、「大日本史」など●武具刀剣甲冑類●地主時代の道具諸帳簿●雪国の生活道具●古白岩焼(陶器)※季節により特別展示を行っていることがあります。』
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石黒家…『角館の武士は、旧芦名氏系の家臣と佐竹氏に付き従った家臣が入り混じっています。石黒家は佐竹氏の家臣で、明暦2年(1656)この地の所領として、芦名氏断絶の後をうけて入った義隣に従って移住してきました。もともとは、越中(富山県)の出とされています。藩政期の大半は武家屋敷地の西側にあたる川原町に住居があって、役職は財政を担当する納戸役や勘定役をしていました。この地に住居を移したのは嘉永6年(1853)のことで、蓮沼七左衛門から買い受けています。角館の武士は陪臣、つまり家臣のさらに家臣という立場でしたから、禄というのは極く低く押さえられていましたが、幕末近くになりますと、絹、管笠、樺細工などの殖産に積極的に取り組み、このような家屋を維持出来るほどの財力を持ったのです。また、学者や文人の出た家としても知られ特に毅堂と号した石黒隼人祐は、漢学者として明治期まで活動しましたし、町で最初の種痘を行った医師、高橋痘庵も一族の出です。昭和50年8月6日町指定。昭和51年9月1日国選定重要伝統的建造物群保存地区。角館教育委員会』
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欄間の亀の透かし彫り。
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ロウソクの灯り等でこの影が壁や天井に浮かび上がります。
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展示物が色々ありました。
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季節によって雛人形、五月人形、着物等色々飾られます。
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これが一番古いようです。「安政時代以前(1850年代)」とありました。
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広いです。
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立派な蔵の門。
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野菜貯蔵庫。
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明治・大正年間に増築された蔵には、歴代の武具や甲冑、また秋田蘭画の大成者で『解体新書』の挿図を描いた角館出身の武士小田野直武に関する古文書などが展示されています。是非現地でご覧になって下さい。
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天神様。
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天神様の説明。
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こちらは石黒家の近くにある旧石黒(恵)家です。
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旧石黒(恵)家(平成12年3月29日伝統的建造物指定)…『ここ石黒家は昭和10年に設計され建設されていますが、その内容は近世角館武家住宅の形式から完全に脱却、当時の都会住宅が持ち込まれています。すなわち、角館武家住宅にみられる玄関を持つ四間取りに類した接客空間と、それに接続する内玄関を持つ家族空間に対して、この住宅は両者を融合し、当時の時代背景のもとに計画され普及した住宅内容をもっています。それは明治後半から台頭し大正時代に主唱された新しい都市住宅であって、洋風を加味した和風住宅ですが、在来の和風住宅に西洋間を加え玄関を共通にして連続させています。それに客間や居間さらに家族用の茶の間、それに主婦室や子供室を独立させ、廊下によって連絡するなどは、当時の角館における、いわゆる文化住宅の先駆を示しています。(坂田泉 工学博士)』
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