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格式高い薬医門で知られる青柳家は角館を代表する武家屋敷。四季折々の草花あふれる3000坪の敷地内に、母屋、武器庫、解体新書記念館、秋田郷土館、武家道具館、ハイカラ館(アンティークギャラリー喫茶)、幕末写真館、時代体験庵などがあり、貴重な品々約3万点を公開しています。
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角館歴史村青柳家…『当家は、天正8年常陸国青柳和泉守より続く角館を代表する武家屋敷です。三千坪の屋敷は植物園のように草木に覆われ、その中には6つの資料館(武器蔵・解体新書記念館・秋田郷土館・武家道具館・ハイカラ館・体験ツアーなど)がございます。万延元年建立の薬医門からご入場され、安永2年の建造の母屋を通ってごゆるりとご散策ください。年中無休。公開時間午前9時より午後5時まで。』
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案内図。館内には6つの資料館があります。非常に広いので、ブログ記事にて紹介するのは一部です。是非現地にて楽しんで下さい。館内写真撮影可能でした。
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井戸。
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ちなみに肝心の薬医門ですが写真を撮り忘れたようです。万延元年、藩への功績が認められて特別に許された青柳家の薬医門。門はその家の位や威信を表すとされていた当時、上級武士にしか許されない重厚で格調高い造りは青柳家の誇りでした。※写真はパンフレット。
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まずは安永2年建造の母屋に。青柳家母屋は、約200年前の建築のままに、厄除けの意味を込めた鬼板や懸魚等で意匠をこらした玄関、座敷内の板欄間にほどこされた家紋の透かし彫り、雪国特有の廻り縁など、武家らしい威厳に満ちています。
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屋敷内案内板より…『●四百年の血脈…秀吉の天下統一の頃、佐竹義宣は水戸に居城しましたが、関が原の戦いのときに西軍に組したとおもわれ、慶長7年(1602)、秋田に移封されました芦名氏の家臣として常陸佐竹氏の国替により角館に入った青柳家は、芦名断絶後、水戸時代と同様佐竹氏の家臣となります。以来明治の世を迎えるまで佐竹氏の忠実な家臣として仕え主君の繁栄を支え続けました。青柳家の象徴でもある薬医門は、万延元年(1860年)に藩への貢献が認められ佐竹家が特に許可したものです。門はその家の位や威信を顕すとされていた当時、家老職の屋敷よりも立派な門構えは青柳家の誇りでした。そして今、その粛とした姿は角館の象徴となり、人々の営みを見守り続けています。●青柳家は16代続いた家柄で、南部境目山役という秋田県と岩手の境を守る役職につき、石高は200石でした。敷地の広さは、9,900㎡(3千坪)です。』
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角館春慶塗…『透明な塗りを施して、その木目の美しさを生かした伝統な技法の塗り物。江戸期に角館でこの塗りが隆盛を極め、盛んに能代港から移出されました。現在この技を継承する職人は存在しておりません。』
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当時の台所です。
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陸奥出羽国郡行程全図。
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武器藏へ。青柳家が「南部境目山役」という秋田藩の中での要職に就いていた時代の武具や甲府にいた頃の武具などを展示。なお、この蔵は、もともと米蔵として作られたものです。
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武器蔵には、青柳家のルーツを伝える貴重な武具や、江戸時代からの文献が収められています。家宝である六十二間小星兜、五輪塔旗印、藤原高真による秋田郷土刀などがあります。家の誉れを象徴する数々の武具には武士としての誇りが宿っています。
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夜着(掛布団)。青柳家で大切に保存されていた客用の掛布団。鮑を熨したおめでたい熨斗模様や角館黄八丈あんど、日本の伝統文化を夜着にあしらった大変珍しい品です。
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青柳家が甲府にて武田の武器作りをしていた当時の鎧兜と、青柳家最後の丁髷を結った当主と夫人の肖像画など。鎧兜は、甲府から水戸、そして秋田と移住する間も家宝として大切にされてきました。五輪塔旗印は鎌倉時代のものです。
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かなり見応えがありました。武士の魂を宿した貴重な「刀」と「片刃槍」を実際に手に取ることができるコーナーもありましたよ。
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解体新書記念館へ。
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「秋田蘭画」の創始者小田野直武…『画家としての小田野直武の才能を見いだしたのは、時代劇のテレビドラマや映画に何度も登場し、江戸の才人・奇人といわれた平賀源内でした。蘭学に精通した平賀源内の手ほどきで、西洋絵画を学んだ小田野直武は「解体新書」の解剖図を描くだけでなく、その後、日本で最初の西洋技法絵画=「秋田蘭画」を創始します。小田野直武の画業の軌跡と関係の深い画家の作品、そして小田野直武関連の青柳家所有物を展示しています。』
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解体新書は日本で初めて翻訳された全5冊の西洋医学書で、安永3年に江戸で発刊されました。翻訳したのは、杉田玄白、前野良沢等ですが、発刊と同時に評判となりベストセラーになりました。
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解体新書が当時の日本に衝撃を与えたのは、初めて正確な人体解剖図の付図1巻がついていたことです。この人体解剖図を描いた画家が小田野直武という角館の武士です。青柳家と小田野直武は姻戚関係にあり、何度も互いの家の間で養子縁組みや婚姻関係を結んでいます。解体新書記念館では青柳家と関係の深い小田野直武と解体新書、その画業について展示しています。
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青柳家に贈られた「解体新書」。「解体新書」は5分冊の書籍。この「解体新書」は小田野直武から、当時の青柳家当主・青柳正躬に贈られたものと伝えられています。
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解体新書扉絵。「解体新書」の扉絵はオランダの原書「ターヘナルアナトミア」に描かれたものと異なり、スペインの医学者ワルエルダの解剖書表紙からとったものです。しかも、左側の裸で描かれている男性の性器が原画では描かれていたのを、日本で出版するため、小田野直武はうまく隠して描きました。
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小田野直武像。
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青柳家と姻戚関係になる小田野直武は、平賀源内に師事、秋田蘭画を確立し、「解体新書」の挿絵を描いてその名を高めました。西洋の陰影法を取り入れ、後の洋画界に大きな影響を与えた秋田蘭画は、小田野直武と秋田藩主佐竹義敦によって完成されました。義敦はまた、江戸の秋田藩邸内に歓楽宮を建設。「高みから見下ろす」という最新の視覚を広めるため、幕府が禁じた三層建てドームという形をとったといわれます。秋田・角館の二人の武士が、日本人のものの見方を大きく変える礎を築き上げたのです。
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小田野直武…『角館の武士であるが、日本で初めて洋画の技法である写実に取り組んだ天才画家。解体新書のさし絵を描くなど西洋医学の夜明けに貢献した。寛延2年(1749)此の地で生まれ、安永9年(1780)此の地で謎の死を遂げた。』
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神明水。青柳家の裏山、源太寺山から、庭園内の池に数百年絶え間なく流れ込む沢水。その清らかで豊かな流れは、NHKの「新日本紀行 武家屋敷残照」等の番組でも紹介されました。井戸水の水質も折り紙付の美しさです。
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秋田郷土館・幕末寫眞館など色々見て回りました。
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内容は省略致します。
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秋田県第一号ポンプ車(明治後期活躍)。
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衣装体験庵。要予約でした。残念。
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曳山。
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蜘蛛の拍子舞。
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坂田金時・女郎蜘蛛の精。
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秋田戌武家丸の顔ハメパネルに挑戦してください。
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角館のお祭りと山車について…『毎年、9月の7、8、9日の3日間にわたって行われる角館のお祭りには、各町内からこのような山車が繰り出され威勢のよい若者たちが町中を引き回します。もともとは、角館にある神明社と薬師堂の祭典が重なったことから全国的に見ても珍しい3日間にわたるお祭りになったと言われております。山車の上には、歌舞伎・合戦の名場面の人形がのせられ、前方の舞台では「おやまばやし」という手踊りが披露されます。全丁内合わせて18台の山車が毎年繰り出され、祭りの興奮が最高潮に達する3日目の深夜には、道の通行優先権を争って山車どうしが激しくぶつけ合います。この展示されている山車は昭和61年から平成14年まで駅通り若者の山車として使用されたものです。』
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ハイカラ館。
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その名の通り、ハイカラでした。平賀源内、小田野直武など角館ゆかりの先人の先取的思想とハイカラ指向を受け継ぐアンティークミュージアム。時代を超え、研ぎ澄まされた匠の技と造形美を備えた逸品が揃う全国屈指のアンティークコレクション。
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説明。
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内容は省略。
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現地でお楽しみ下さい。
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青柳家邸内社。
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社殿。
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神額には青柳神社。
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社殿内。昔の写真らしきものもありました。
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恐らく棟札の写しかと思います。延享5年の紀年銘が見えます。
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案内板。
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庭を散策して…
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母屋に戻ってきました。
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日根野兜紺糸威二枚胴具足(主屋)。
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所要時間20-30分となってましたが、もっとかかると思います。そのくらい見応えがありました。
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武家屋敷青柳家(秋田県指定史跡・昭和48年7月12日指定)…『武家屋敷青柳家は、およそ350年前から現在地に屋敷を構え今日に及んでいる。角館を町割りした芦名氏の断絶後、角館所領となった佐竹北家の組下となり身分は変わったが、石高は45石から江戸末には100石を超えている。薬医門には万延元年(1860)の矢板があり、主屋もその頃建て替えられたと考えられる。主屋は茅葺寄棟造の鍵屋で玄関・取次ノ間・座敷・仏間・納戸があり、角館の武家屋敷の中でも豪華である。青柳家は藩政期には南部境目山役など勤めたが、明治になって地主として発展し、百町歩におよぶ田畑を有した。そのためか、屋敷は江戸時代の13間3尺から現在のような広大な屋敷地を持つようになった。屋敷の広さもあるが、樅・枝垂桜・松など200年を越える樹木が景観を形成している。平成22年4月仙北市教育委員会』
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青柳家平面図。
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