1
大聖寺~其之弐(高畠町)』からの続きです。
2
2.5
観音堂(縁結び観音)。観音堂は入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、正面3間軒唐破風向拝付。向拝木鼻に獅子・象、欄間には中国故事(七福神)。
3
七福神は大変ユニークな造りでした。
4
4.4
4.8
向拝。
5
海老虹梁。
6
鰐口と御詠歌「よをてらす ほとけのちかいありければ まだともしびも きえぬなりけり」。
7
堂内には観音堂と同時期に造立されたと考えられる木造阿弥陀如来立像、西国三十三観音像、木造弘法大師座像などが安置されています。
8
観音堂には様々な絵馬などが掲げられていました。
9
9.4
9.8
軒下4隅に力士像。
10
10.4
10.8
表情が怖いです。
11
11.2
11.4
11.8
観音堂…『鐘楼堂と共にこの境内で即身佛になった待定坊が諸国を行脚し4万数千人の浄財を得て享保16年(約280年前)建立されたものである。堂内の中央に阿弥陀如来、脇士に正観音、十一面、如意輪、馬頭等、三十三体の観音像が安置せられ縁結び観音として信仰されている。御縁日:毎月17日』
12
観音堂から見た亀岡文殊本堂。
13
寺務所。
14
宝篋印塔。
15
狛犬一対。
16
16.5
亀岡文殊本堂。
17
大正3年に伊東忠太が設計。入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、正面3間軒唐破風向拝付。外壁は真壁造、板張、弁柄色塗り。堂内には本尊である文殊菩薩騎獅子像(秘仏)を安置。
18
18.5
ここで一気に由緒に触れておきたいと思います。
19
大同2年(807)、東北地方布教のため、当地を訪れた徳一上人(奈良東大寺住職)が、平城天皇の勅命を受けて、中国五台山より伝来した文殊菩薩を勧請し堂宇を建立。古くは文殊寺と号していました。
20
戦国時代にこの地方を領した伊達政宗の崇敬を受けており、政宗の生母である義姫(山形城の城主最上義光の妹)が懐妊祈願に訪れた場所としても有名であり、天正19年(1591)、政宗がこの地を去る時に古鐘を納めています。伝承によりますと、義姫は永禄8年(1565)に伊達輝宗の正室に迎え入れられ、その後、亀岡文殊堂の長海上人に懐妊祈願の依頼を行いました。長海上人が湯殿山で懐妊祈願を行い幣束を御神体(湯殿山の御神体から湧き出る温泉)浸し義姫に届けると、湯殿大神の化身と思われる老僧が義姫の霊夢に出現し「義姫の胎内に宿を借りたい」との御告げを受けました。輝宗と相談の上その願いを受け入れると、不思議と懐妊したことから「幣束」に因み「梵天丸(政宗幼名)」と名付けたそうです。古鐘は鎌倉時代後期の永仁4年(1296)に藤原正頼が鋳造したものであり、伊達家の菩提寺であった資福寺にありましたが、天正19年(1591)に政宗が米沢城から岩出山城(宮城県大崎市岩出山町)に移封になった際、資福寺も随行した為、亀岡文殊堂に奉納されたと伝えられています。
21
21.5
関ヶ原の戦い直後の慶長7年(1602)旧2月27日、直江兼続が詠会を主催して雅友27名(前田慶次利貞・実弟大国実頼らを含む)が集まり、漢詩や和歌あわせて100首を奉納。直筆短冊のほとんどが当寺に残されています(亀岡文殊堂奉納詩歌百首(縦41.5cm、横29.5cm、冊子装、短冊、紙本着色))。
22
22.5
亀岡文殊堂の別当だった大聖寺は天皇の祈願所でもあり5代将軍徳川綱吉から14代将軍徳川家茂まで10代に渡り100石の朱印状を受けるなどの名刹でした。
23
明治の神仏分離令と廃仏毀釈運動により、仏教色を廃した町内に鎮座する安久津八幡神社から一部の仏像が遷されています。文殊堂は大正3年の再建で伊東忠太の設計。境内には老杉の大木が繁り、歴史の重みと厳かな雰囲気が漂います。
24
亀岡文殊畧縁起…『大聖文殊師利菩薩は、人皇28代宣化天皇の2年正月(約1400余年前)震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国、神路山に安置されてあったが、51代平城天皇の大同2年勅命により奈良、東大寺住持、徳一上人がここにお移しになされたものである。爾来、日本三文殊の随一として(日本三文殊とは出羽の亀岡・大和の安倍・丹後の切戸)中納言格の待遇を受け、畏くも勅願所として皇室の崇敬厚く、国家安穏の御加持を命ぜられ、又、徳川時代には5代将軍綱吉は深く帰依され御朱印百石を賜わり、14代将軍家茂のときまでつづきました。現今の文殊堂は、大正3年の改築にして工学博士伊東忠太氏の設計によるものである。御縁日:毎月廿五日』
25
文殊堂正面の大黒天様。
26
大黒天…『当山開基徳一上人の作で生き大黒、走り大黒ともいわれ、軽くなり給え、と念ずれば次第に軽くなり、重くなり給え、と念ずれば重くなり、願望達成のときは軽く持ちあげられるという霊験あらたかなることで有名である。祭礼:12月9日』
27
賓頭盧尊者(おびんづるさん)。
28
文殊堂背面へ。
29
29.5
大日如来、普賢菩薩、虚空蔵菩薩が祀られていました。面白い造りですね。
30
文殊堂裏の蔵王大士。
31
蔵王権現かな。
32
残念ながら鳥居の先は立入禁止のようです。
33
文殊堂裏右奥にある利根水。
34
知恵の水。一口飲めば文殊さまの知恵が授かります。
35
水でよく見えませんでしたが、水受けに梵字のようなものが彫られていました。この中央からすくって飲んだ方が御利益ありそうですね。
36
文殊堂横にある子育地蔵菩薩。
37
37.5
文殊堂正面から見た観音堂。
38
心做しか頭が良くなったのでそろそろ帰ります。
39
40
イメージ 3
イメージ 2