イメージ 1
天満宮梅まつりへ。
イメージ 2
イメージ 3
日付は4月21日。
イメージ 4
満開ではありませんが綺麗でした。
イメージ 5
イメージ 6
天満宮卯年一代守護神…『学業成就・諸願成就の神。御祭神:菅原道眞朝臣命・文殊菩薩・少彦名神・若木神・倉稲魂命。末社:稲荷神社・若木神社。開祖は菅家の末裔重珍丸の十二代の後胤にあたる大行院栄尊といふ人で、京都三宝院、後に越後の東光院に居たのを慶長3年(1598)、京都近衛家の要請、津軽右京大夫為信の招きに應じて、南郡大根子村に祈願所をもうけ仮堂とし、長永寺松峰山大行院と称し津軽の山伏を支配する司頭であった。慶長4年(1599)2月、中郡八幡村へ移住し寺禄30石を与えられ、寛永2年新寺町へ移住、一輪山報恩寺造営に付き、宝暦4年(1755)津軽藩薬草院のあった西茂森町の現在地に屋敷操替。明治4年修験道の廃止により神道天満宮となる。御祭神さまと本尊の文殊菩薩は代々大行院の代神として祀っていた御神体と又種里にあった大浦家の先祖が祭っていた舘神。慶長15年信牧公の時弘前城に移し、天神さまと称し、その後信政公の命に依り植田村橋雲寺に移した天神さまを明治4年、再びこの天満宮に移し祭った御神体を併せ祀っている。最近までは西北に見える岩木山まで村落田が一望のもとに見渡され境内には多くの石碑、古桜木、句碑等が残されており市内有数の景勝地でもある。平成15年津軽ダム建設のため西目屋村砂小瀬鎮座の稲荷神社、同村川原平鎮座の稲荷神社を合祀する。春の祈願祭4月25日、夏季例大祭6月25日、秋の感謝祭10月25日』
イメージ 7
合祀記念碑…『中津軽郡西目屋村砂子瀬鎮座の稲荷神社は、数百年間に亘り、氏子の心の拠り所として、地域の産土様として大切にされてきた。しかし、津軽ダム建設工事に伴い、神社建物境内地及び全住民の家屋が完全に水没することとなった。これに伴い、神社の御祭神(倉稲魂命)は宮司の本務社である天満宮に合祀することになり、地域住民は平成13年より15年にかけて西目屋村田代地区・弘前市・岩木町に移住した。このことを後世に伝え残すとともに、大神様の益々の御神徳を仰ぎ、旧砂子瀬住民の御安寧を祈念し、御祭神合祀壱年を迎えるに当り、茲に記念碑を建立するものである。平成16年6月12日天満宮宮司宇庭定憲』
イメージ 8
天満宮。
イメージ 9
イメージ 10
弘前公園より咲いています。
イメージ 11
参拝。
イメージ 12
イメージ 13
末社。
イメージ 14
参道。
イメージ 15
天満宮のシダレザクラ。
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
今年も元気に咲いております。
イメージ 19
天満宮のシダレザクラ(県天然記念物・平成10年4月22日指定)…『ここは、修験道の寺(大行院-天満宮の前身)があったところで、江戸時代から保護されてきており、大正期の「全国大桜番付」にも記載され、広く一般市民に親しまれている。推定樹齢は、500年以上とされ、全国的にも貴重な桜の古木といえる。管理者宗教法人天満宮。』
イメージ 20
天満宮境内から岩木山。
イメージ 21
以下、関連記事・過去記事。
イメージ 22
イメージ 23
イメージ 3
イメージ 2