イメージ 1
秋田県仙北市田沢湖潟中山。たつこ茶屋前。田沢湖湖畔南方。
イメージ 2
かっぱの淵の松。
イメージ 3
その昔、この松は馬を繋いでおく木でしたが、馬が行方不明になることがありました。ある時、繋いでいた青馬が勝手に厩に戻っていて、飼い葉桶の中に河童が隠れていました。その河童を働かせようとしましたが、役に立たないので湖に戻してやると、以降悪さをしなくなったと伝えます。
イメージ 4
石碑は読み取れず。
イメージ 5
千葉治平詩碑。
イメージ 6
『靄森山なぜかその名優しけれ 汝が頂に雲を巻き濃き憂いを吐く白 みずうみに風立ちて 白鳥の波はよするなり』
イメージ 7
蚕魚墳。
イメージ 8
イメージ 9
イメージ 10
蚕魚墳…『田沢湖を巡る沿岸の集落は、外輪山から湖への距離が短いことから、耕地に適する平坦地が少なく、昔は湖に産する国鱒などの漁業と養蚕、それに製炭などで生計を立てていた。とくに、世界中でこの湖よりほかに生息をみなかった国鱒は、田沢湖の神話を起源とする高級魚として、慶事などの贈答魚として珍重され、湖畔住民の最大の収入源となっていた。ここ大沢の集落では、漁網や衣類の原料となる絹糸を吐く蚕と、国鱒などの魚族のために塚を築き、その霊を供養するとともに生産と豊漁を祈願したのであった。塚は駐車場整備のために取り崩されたままであったが、平成12年に古老の記憶をもとに往時の姿に復元したものである。向かって右が蚕塚、左を国鱒塚と言い、二つの塚をもって蚕魚墳と呼ばれていたものである。平成13年4月1日田沢湖町』
イメージ 11
かっぱの淵の松と蚕魚墳。
イメージ 12
辰子錐。見えるわけではありませんが。
イメージ 13
靄森山方面。
イメージ 14
辰子錐…『このルリ色の深さは、1km沖合で400mの水深に達し擂鉢状に落ち込んでおります。正面御座の石方向500mの前に水面下28mに小高い山があります。これは、田沢湖陥没の当時火山噴火によってできたものでもう少し噴火が大きかったら顔を覗かせておったでしょう。』
イメージ 15
イメージ 3
イメージ 2