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秋田県仙北市田沢湖田沢春山。
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田沢湖湖畔東方になります。田沢湖遊泳場付近。湖心亭前。
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近くはビーチハウス湖翠、湖畔浪漫かたくりの花、辰子観音像、花心亭しらはま等もあります。
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鳥居二基。
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社殿。
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馬頭観世音碑。
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紀年銘は嘉永4年。
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御神馬。
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堀川小太郎翁之碑…『翁ハ仙北田澤村ノ人寛政十二年ヲ以テ生ル性剛直ニシテ夙ニ利民ニ志アリ天保元年親郷肝煎ト為リ角館官舎ニ勤務ス同四年大凶饉アリ翌年窮民蜂起シ騒擾ヲ極ム翁百方盡カシ之ヲ鎮定セリ功ニ依リ永苗字一代帯刀ヲ聴サル先是藩主義和公野馬ヲ山本郡鶴形村ニ開カレ後之ヲ田澤村ニ移シ大ニ牧馬ヲ奨励セラル爾来漸次盛業ニ赴キシカ天保ノ歉ニ遘ヒ良正治ト售盡ス翁時ニ牧場支配人タリ郡奉行會田久左衛門氏ノ命ヲ承ケ警テ野馬再興ヲ期セリ依テ南部ニ赴き名馬數頭ヲ購ヒ小和瀬野ニ放牧シ鋭意益蕃息ヲ計リシカハ逐年増殖シ遂ニ名産地トシテ領内ニ冠タルニ至レリ翁功ニ依リ米三石ト生涯四人扶持ヲ賜ハル又戊辰ノ役國境警衛ニ力メ農兵ヲ出シテ官軍ニ應援セリ藩主其功ヲ嘉シ御紋附裃一具ヲ賜フ明治二年十一月八日歿ス齢七十闔邑皆其恵澤ヲ憶ヒ有志胥謀リ碑ヲ建テ之ヲ不朽ニセムト欲シ予ニ文ヲ徴ス是亦厚徳ノ至リナリ因テ叙シテ以テ應ス 大正九年三月吉日泰城小林謙吉撰文之書』
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白浜・馬頭観音の由来…『文化年間、秋田藩主佐竹義和は、当地、玉川の小和瀬野に御野馬牧場を開設し、その増殖を図ったが、天保の大凶作に際し、窮民救済のため御野馬はことごとく売り払われるに至った。天保5年、郡奉行(小太郎碑文)会田久左衛門は田沢の親郷肝煎、堀川小太郎に御野馬の再興を命じた。小太郎は熟慮の上意を決し、当時すでに馬産の先進地であった隣国、南部に入国し、苦心のすえ「大岩乗」という牡馬と良牝馬二頭を得て帰国、郡内各村から集めた良馬七頭、それに後に南部から求めた「小牧」という牝馬を中心に御野馬の再興を図った。その後、文久元年(田沢湖案内)陸奥国七戸の産で、尾の中に白毛の混じった青毛牡馬を南部沼久内の馬商から買い求め、これを「尾白」と名付け、種畜として繁殖を図ったところ良駒続々と産出され、後年「田沢馬」の名声を得る基礎となった。「尾白」はその昔、宇治川の先陣で名高い佐々木四郎の乗馬「池月」の系統を引くといわれ、馬産家有志が大いにその死を惜しみ、白浜原頭になきがらを葬り、蒼前(馬の神様)にまつったと伝えられている。大正4年、この地に鬼川喜代治が湖畔で最初の旅館「湖心亭」を経営、秋田顕勝会田沢出張所委員をつとめ、田沢湖観光のさきがけとなった。以来、この馬頭観音を家業繁栄、家内安全の神として崇敬してきたものである。大山文穂・文』
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近く(田沢湖湖畔)にあった案内板「田沢湖の伝説」…『「うつせみは願をもてばあはれなりけり田沢の湖に伝説ひとつ」斉藤茂吉。その昔、前方院内岳の麓、百姓三之丞の一人娘に辰子というそれは美しく気立てのやさしい娘がおりました。里人達は天上の神女が下界に降りてきたものだと言いはやせば辰子もその美貌と若さをいつまでも変らないでほしいと思い大蔵山観世音菩薩に雨の日も風の日も百日百夜お参りを続けたのでした。満願の百日目に神から「辰子よこの山を北に向い、湧いている清い泉の水を飲むならば願はきっと成就するであろう」とお告げがありました。途中小川で岩魚をとり焼いて食べたところ急に喉がかわき谷間を降り泉を見つけ水をむさぼるように飲みました。ところが泉に映る我が姿は口がさけ、みるみる龍の姿になったのであります。この時春の日はまたたく間に天地鳴動、紫雷閃き渡り山崩れ泉は満々たる湖になったのであります。そして龍に化身した辰子は湖の主となり奥深く沈んでいったと言われます。田沢湖町』
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