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秋田県仙北市西木町西明寺字潟尻。
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みちのく三大湖の彫刻(十和田湖乙女の像・御所湖シオンの像)の一つ。
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田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)
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十和田湖を南祖坊に追われ、男鹿半島に八郎潟をつくり主となった八郎太郎は、毎年秋の彼岸の頃、田沢湖に恋人の辰子を訪ねて冬を過ごすため、主のいない八郎潟は凍りつき、2人の龍神が住む田沢湖は冬の間も凍らない湖として知られている。(三湖物語より)
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田沢湖の辰子姫伝説にちなみ、湖のシンボルとして昭和43年4月12日に田沢湖畔潟尻に完成。高さ2.3mのブロンズ像。表面を金箔漆塗り仕上げとしたのは、酸性の強い湖水からの腐食に耐性を持たせるため。
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作者は岩手県出身で当時東京芸術大学教授で彫刻家の舟越保武氏(1912-2002)。季節による水位の変動で台座部分が水中に没することがあります。水位が低い時は皆さん台座に上がって記念撮影しているので、水位が高い時の方が自由に撮れる感じです。っていうほど観光客はいませんでしたが。いずれにしても水没している時期の方が綺麗かもね。
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あえて白とび。
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案内板より…『田沢湖の伝説の美少女たつこが かすかな羞じらいを含んで 沐浴から上がって 何かを待っている そのような乙女心を表現しています。作者:舟越保武。材質:青銅金箔漆塗仕上。台座:アフリカ産ブラックストーン。完成:昭和43年5月12日』
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それにしても凄い数の魚(うぐい)がいます。餌に群がる鯉みたい。
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余裕で魚のつかみ取りができそう。
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たつこ像の近くにあった小杉放庵歌碑。
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『小杉放庵(本名國太郎、画家、歌人)は、明治14年栃木県日光に生れる。大正11年、森田恒友らと春陽会を創立。昭和4年8月、橋本関雪や山中蘭径らと田沢湖を訪れ潟尻に遊んだ。往時の潟尻は田沢湖から流れる潟尻川の清流を中心にひらけ、漁業、製炭などを生業としておだやかな生活が営まれていた。この頃の潟尻川は広い河口をゆっくりと流れ、潟尻橋のあたりから激しい急流となって檜木内川にそそいでいたのである。「みつうみの夕の水の落つるなり 家七つある潟しりのむら」昭和4年夏 放庵 平成元年10月 仙北市』
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