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八戸市諏訪1丁目。かつての小中野村。元和4年の南部利直知行宛行目録に「小中野」とあり、近世初頭は根城南部氏の知行地。また、地内の正部田は前年の南部利直下知状に「しやうふ田」と見えます。元禄3年の御領内巡見覚帳(小中野風土記)によりますと、家数は38、うち小中野2・四つ屋16・田端1・正部田2・左比代6・長豊8・中城2・諏訪ノ平1。四ツ谷は藩の処刑場とされ、八戸藩日記の享保12年4月の条に「先達而籠舎被仰付置候三四郎町中引廻し四ツ屋於殺生場打首」、同書寛延元年11月の条に「牢守次郎兵衛儀四ツ屋殺生場において打首」などと見えます。元禄16年に刑場が置かれ明治維新まで続いたといいます。諏訪の森に鎮座。
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御神木。
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小祠がありました。
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どちらも大黒天ですかね。陶製の狐も見えます。
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二の鳥居。
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石段と三の鳥居。
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参道脇の狐一対。
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石灯篭一対。
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三の鳥居下の狐。
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石灯篭一対。
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社殿前狛犬一対(昭和50年7月27日)。
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慶長12年創建。「雑書」承応2年5月11日の条に「八戸之内佐比代諏訪二而今六日御湯立」とあります。諏訪大神を主神とし、武運長久・産業・交通安全を含めた万能の神として崇めています。稲荷様、金勢様、権現様を合祀。
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拝殿蟇股。
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拝殿神額には「諏訪稲荷神社」。鰐口もあります。
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拝殿内。
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末社群。
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石祠。稲荷様かな。
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こちらの棚には陶器製の狐がいっぱい。
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その横には諏訪金精堂。戦前までは近郊の花柳街からのお参りが多く、現在は子宝を祈る夫婦に信仰されています。
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高さ約1mの木造金精様(男根)です。
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その横には住吉大明神(昭和63年1月17日)。
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巨岩が露出しており…
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その周囲にも小祠がいくつかあり、色々祀られていますが何かはわかりません。
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とにかく大黒天・恵比寿天、そして陶器製の白狐が多い神社でございます。漁師やそれに関わる市場の方々の崇敬が篤いのでしょうね。
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庚申塔と石祠。
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こちらの石祠は稲荷様ですかね。先程の石祠とは別です。
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こちらの末社は大黒天・恵比寿天・布袋尊に囲まれています。
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結構な数です。
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隣には京都伏見稲荷神社。
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こちらは金精神社。金精堂と金精神社があり、更に社殿にも陽石が据えられているようです。
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市史編纂室編『〈民俗調査報告書〉小中野地区の民俗-平成十三年度民俗聞き取り調査より-』によりますと、この神社にコンセイ神が祀られているのは、諏訪信仰であり、ミシャグチ神として陰陽石を祀ることと関係があるとしています。
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更にその隣には少彦名神社。目の神様です。
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こちらの祠は…
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何かは不明ですが、この流れでいくと金精様にしか見えませんね。
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社殿横にも参道があります。神職宅側。
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社殿のすぐ横に出る参道です。
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参道石段に大黒天と恵比寿天。
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神楽殿。
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諏訪神社がある小高い丘から降りて、社殿の周囲を歩いてみると結構巨岩が露出しており、石だらけの丘だとわかります。社殿も岩山の上にあるんですね。
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更に境内からは気付かなかった場所にも石段が見えました。不思議な石段だと思い再び境内へ。
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近くには忠魂碑が建立されていました。わかりにくい場所ですね。
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陸軍大将一戸兵衛書。
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忠魂碑前に狛犬一対。
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