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天神社。府中市宮町3-21-1。大國魂神社東方約500m、宮町3丁目京所の東端、競馬場に面した小高い所(天神山)に鎮座し、欅の巨木数本があります。別名丸山ともいい、その西北隅、日吉神社の北側に鎮座し、1間半4方の覆屋をもつ小社が北面しています。北面の末社としては本社と共に数少ない社。なお、天神山は競馬場が移転する以前はもっと東方に延びており、現在の倍以上の丘でした。一説には国造の墳墓跡ともいわれています。
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御祭神は少名彦命。例祭は2月25日。大國魂神社の境外末社。
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嘉慶2年(1388)の私案抄には「総社の摂社と並べ載たる中に天神の宮とある是れなり」と記されています。
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大新編武蔵風土記稿によりますと「除地二段、小社、祭神少名彦命」とあります。この神は大國主命と義兄弟となって国土経営に当たった神として、国府に多く祀られています。天神山の東方から南方にかけて天地(天神の転訛)又は天神下などという広い範囲に亙る地名があり、元は相当の信仰がありました。ここで近藤勇の天然理心流4代目襲名の野試合が行われました。
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天神社と日吉神社の間にあるこちらの建物は京所公会堂なのかな。
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天神社の裏に背中合わせに鎮座しているのが日吉神社です。天神坂を下ったところに天神坂標柱があり、その標柱の先に参道があります(境内は繋がっています。同じ天神山に鎮座)。妙見山妙顕大善神が近くにあり、山王信仰からそちらとの関連性も考えてしまいますね。由緒はわかりません。大國魂神社で聞いてくればよかったな。一般には山王信仰に基づき日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神と大物主神(又は大国主神)を御祭神とします。
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天神山に上ります。
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なお、ネットで調べると「大國魂神社の境外末社で、大國魂神社が六所宮とも呼ばれることから、六所日吉神社とも呼ばれています。」とのこと。確かに所管社としては掲載されていませんが、大國魂神社の年間行事に当日吉神社の例祭(1月15日)が含まれています。天神社の例祭日は2月25日なので日付は異なります。天神社の境内社という雰囲気でもありませんね。参道入口も真逆です(大國魂神社と同じ北向き。但し、天神社正面は「京所公会堂入口」と表示。)。
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新編武蔵風土記稿によりますと、明治維新前の武蔵総社大國魂神社の別当寺であった天台宗叡光山安養寺について「山王社小社客殿の西にあり境内の鎮守」とあり、現在の安養寺境内に山王社が存在しないとすれば、神仏分離の絡みからこの山王社が現在の日吉神社である可能性も考えられます。つまり現在の妙光院と金比羅神社のような関係性です。そうだとすれば同じ天神山にあれど、天神社とは直接的には関連しないと思われますが、何分私は安養寺さんへ行ったことがありませんので詳細はわかりません。
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手水石。
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拝殿。
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向拝扁額。
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拝殿内。
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本殿。
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