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金谷ホテル歴史館は江戸時代築の武家屋敷。明治6年、日光金谷ホテルの前身「金谷カテッジイン」が日光の四軒町(現在の本町)で開業されました。明治26年に現在地に移転。「金谷侍屋敷」および「土蔵」は平成26年に国登録有形文化財となり、平成27年3月より資料展示室を伴う「金谷ホテル歴史館」として一般公開が始まりました。
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代々東照宮の雅楽師を勤める金谷家に生まれ、自らも笙を担当する楽人であった金谷善一郎は、ヘボン博士の進言により自宅を改造して「金谷ホテル」の前身となる「金谷カテッジイン」を21歳という若さで開業し、日光を訪れる外国人が安心して泊まれる宿として評判を高めていきました。金谷家の家屋は江戸時代には武家屋敷であったことから、外国人客は「金谷カテッジイン」を Samurai House (侍屋敷) と呼んでいました。
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明治11年、江戸から奥州への旅の途中で日光を訪れたイザベラ・バードは著書の中で「こんなにも美しい部屋でなければよいのにと思うことしきりである。」「今いる家についてどう記せばよいかよくはわからないが、日本的な田園風景の世界ではある。家の内にあるもののすべてが目を楽しませてくれる。これまでの宿屋の騒音とは違い、勢いのよい川の流れと小鳥のさえずりが聞こえてくるだけの音楽的な静けさには、本当に心が洗われる。家は簡素ながら出入りのある変わった造りの二階建で、石垣のある壇の上に建っており、石の階段を上っていくようになっている。上手に設えられた庭では牡丹や菖蒲、躑躅が満開で、とても鮮やかである。背後には山が間近に迫り、山から勢いよく流れ落ちてくる沢の一つが冷たくて澄み切った水をこの家に供給している。またもう一つの沢は、小さな作り物のような滝をなしたあと、家の下をくぐり池を通り、下手の方で川に注いでいる。池には岩の小島があり、魚が泳いでいる。」(日本奥地紀行1)などと記しています。
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ヘボン博士、金谷善一郎、イザベラ・バード。
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明治21年頃の侍屋敷。
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明治後期の金谷ホテル。
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現在の金谷ホテル。
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明治11年頃イザベラ・バード画。
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案内板「金谷侍屋敷・金谷侍屋敷土蔵」(登録有形文化財)より…『江戸後期に建てられた武家屋敷です。敷地は全体で3,352㎡(1,016坪)、建屋の総面積は291.1㎡(88.2坪)、1階は180.3㎡(54.6坪)、2階は110.7㎡(33.6坪)あり、建物の東側には24.8㎡(7.5坪)の土蔵があります。建物の西側部分は明治20年に増築されました。代々東照宮雅楽の楽人であった金谷家は1800年(寛政12)前後にこの屋敷を拝領して住居としました。1870年(明治3)、アメリカ人宣教師JamesHepburn (ヘボン博士)が日光を訪れた際に当主金谷善一郎はこの屋敷の部屋を宿として提供しました。このときの博士のアドバイスにより善一郎は屋敷を改造、「金谷ホテル」の前身「金谷カテッジイン」を開業しました。1878年(明治11)にはイギリス人旅行家IsabellaBird(イザベラ・バード)が12日間にわたり滞在、この屋敷の美しさ、清潔さと善一郎一家のおもてなしの素晴らしさを著書UnbeatenTracksinJapan(日本奥地紀行)に綴り、日光の「金谷」は海外でも知られるようになりました。金谷カテッジインの外国人客は、親しみを込めてこの建物をSamuraiHouseと呼びました。カテッジイン創業から20年後の1893年(明治26)、善一郎は本格的な西洋式ホテル「金谷ホテル」を現在地に開業しました。「金谷侍屋敷」および「土蔵」は2014年(平成26)に国の登録有形文化財になり、2015年(平成27)3月より一般公開が始まりました。日本初の西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」発祥の地というだけでなく、江戸時代の武家屋敷の建築様式をそのまま残す貴重な建築遺産でもあります。』
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隣に金谷ホテルベーカリーカテッジイン店。
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もちろん入店。
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小腹を満たします。
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金谷ホテル伝統の味、アップルパイ。
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オリジナル・パン・キッシュ(生野菜付)。
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ごちそうさまでした。
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