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天台寺茶で一服。
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昭和53年、新たな梵鐘(鐘銘撰文:山田恵諦座主)・鐘楼と、東光春聽大和尚供養塔が完成しました。
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その秋には今きよ氏の発願により天台寺開創1250年記念の法要が厳修されました。随喜参列者も僅か数名で、読経中に堂内に突風が吹き荒れ、丈六像(薬師如来坐像)の右腕がはずれ落ち、堂守が急遽、鉤釘で補修するという状態でしたが、法要終了後には虹がかかり、その後の瑞兆となりました。
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鐘楼前に釈迦堂跡…『堂内に銅製の釈迦像が祀られ、その階段の下には大般若経の写経の巻軸が6個の箱に秘めてあったといわれる。明治の廃仏毀釈の際、俗吏がこれを火中に投げ捨てたところ、たちまち、黒白の火煙が舞い上がって炎々たる火の玉となり、皆おそれふるえたという。』
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今東光師(今春聽・天台宗東北大本山中尊寺貫主)が昭和52年9月に急逝するも、その遺志が受け継がれ、夫人の今きよ氏により1千万円が寄贈され、重要文化財や廃仏毀釈時に被害を受けた神仏像などの収蔵庫が建設されました。
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収蔵庫。
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建築史…『この天台寺収蔵庫は、県指定文化財及び町指定文化財等を永く保存、保護し、後世に残し伝えるために建築したものです。総工費は1,371万円で、その経費は今きよ氏(故今東光大僧正未亡人)から戴いた多額の寄附金を基金として、県及び町からの補助を受け、設計は遠野市の角田建築事務所角田幸四郎氏、施工は浄法寺町の小田島建設小田島常夫氏によって建築されたものであります。昭和57年4月』
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天台寺には多くの貴重な品々が存在しており、内2点が国指定重要文化財、11点が岩手県指定文化財となっています。
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聖観音菩薩立像(写真右・国指定重要文化財・高116.5cm・桂材一木造)。天台寺の本尊。桂泉観世音。開山に際して行基が、山中の桂の木を一刀三礼にて彫ったとの伝承を残します。前面にはあえてノミの彫り跡を残す鉈彫という技法が用いられていますが、背面は滑らかな仕上げとなっています。平安中期、11世紀頃の作と推定されています。現在は本堂裏の収蔵庫内に安置しており、仮本堂には複製像を納めています。十一面観音菩薩立像(写真左・国指定重要文化財・高さ174cm・桂材一木造)。全体の形や顔立ちが聖観音立像と非常に似ていることから、同じ仏師が同時期に彫ったものと考えられています。
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説明書より…聖観音菩薩立像『御本尊として古くから厚く信仰されてきました。桂泉観音とも呼ばれ、行基菩薩作と伝えられます。丸鑿で横縞模様を施す〔鉈彫〕の傑作としても有名です。腹部条帛折り返し部に阿弥陀仏の種字(キリーク)の墨書があります。』・十一面観音菩薩立像『膝前の天衣形式や耳の渦巻きや天冠台が聖観音立像によく似ています。2体は同一時期に同一仏師によって彫られた可能性が高いです。等身大でありながら、大変整ったお姿をしています。』
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如来立像二体(岩手県指定文化財・平安時代・桂材一木造)。
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説明書より…如来立像(写真左)『像高177.8cm。同形如来立像二体のうちの一体です。二体とも慈覚大師円仁の作と伝えられます。素木のままで、衣の襞もほとんどなく仕上げられています。霊木に宿る神仏が仮に如来様のお姿であらわれた感じがよく出ています。』・如来立像(写真右)『像高178.3cm。同形如来立像二体のうちの一体です。慈覚大師円仁の作と伝えられ、素木のままで、平滑に仕上げられた重厚さから霊木の神秘性が感じられます。地方色豊かなお顔立ちで、螺髪を彫らない肉髻相が特徴的です。』
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木造二天王立像。伝・広目天立像、伝・多聞天立像の2体。両像ともカツラ材の一木造。本尊とほぼ同時期の作と推定されています。細い腰帯の下に幅広の腰帯を着けますが、この甲制は山形・立石寺の木造毘沙門天立像(9世紀)や岩手・成島毘沙門堂の兜跋毘沙門天立像(10世紀から11世紀)など、東北地方の神将形の作例にしか見られない珍しいもの。
菩薩立像(写真左)・伝広目天立像(写真右)。
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説明書より…菩薩立像『二戸市指定文化財。鎌倉時代か。欅材一木造。像高158cm。もとは薬師堂に安置されていた像です。材となった欅を霊木として信仰していたからでしょう。台座までが一木から造られています。像全体に硬さがありますが、前立冠をつけた穏やかな慈愛に満ちたお顔立ちです。』・伝広目天立像『岩手県指定文化財。平安時代。桂材一木造。像高163.5cm。西方を守る四天王の一つです。彩色像で、右足を外に向けています。伝多聞天像より、腰の捻り、胸や腹の張りや膝上の衣の返りなど背面にいたるまで、よく彫られています。胸に花文状の模様が描かれています。』
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伝多聞天立像(写真左)・伝吉祥天立像(写真右)。
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説明書より…伝多聞天立像『岩手県指定文化財。平安時代。桂材一木造。像高150.5cm。北方を守る四天王の一つです。両眼を大きく見開き、腰を捻らず、左足を外に向けています。彫刻としてはぎこちなさがありますが、地方仏らしい素朴さが魅力的です。白土下地が微かに残り、彩色像だったと考えられます。』・伝吉祥天立像『岩手県指定文化財。平安時代。桂材一木造。像高151.5cm。慈覚大師円仁の作と伝えられるこの像は、衣の彫刻を省略して、衣文や花の模様を墨で描いています。全体的にふっくらとした円満な表情に、すぼめた唇や口元に可愛らしさが漂う、ひときわ魅力的な仏像です。』
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銅造阿弥陀三尊立像懸仏(二戸市指定文化財・江戸時代か・鋳銅製・像鏡一鋳鏡板径52.3cm中尊像高20.5cm)。
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説明書より…『完形のものとしては県内随一の大形懸仏です。明治期に天台寺から流出していたもので、「桂清水案内記」によると、この懸仏は観音堂厨子三扉前に安置されていた三面の銅造懸仏のうちの一面です。』
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獅子頭(二戸市有形文化財)と銅鰐口(岩手県指定文化財・面径52.5cm・撞座9.8cm。青銅製)。正平18年(1363)、源(南部)信行による奉納を示す銘が刻まれています。正平は南北朝時代に南朝で用いられた年号であり、18年は北朝の年号でいえば貞治2年。天台寺の名が確認できる最古の資料であり、この地方を治めていた南部氏との関係を考察する上でも貴重な品です。
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説明書より…銅鰐口『お堂正面の軒先に吊し懸けられ、前面に垂らした布縄についた撞木を打ってお参りするものが鰐口です。南朝方の南部氏の勢力下にあったことがわかります。「天台寺」の銘の初見資料としても貴重です。』
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漆絵立花図(岩手県指定文化財・縦181cm・横126.5cm・欅材彩漆)。正徳6年(1716)、盛岡の商家の父子が絵師に頼んで描かせ、奉納したものと考えられます。色漆で松や梅が華麗に描かれています。
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説明書より…漆絵立花図『ふき漆を施した欅板に、彩漆で古流生花を描いています。漆絵の技巧も優れ、漆産地浄法寺にふさわしい、県内一級の絵馬です。是郷とは盛岡藩絵師森休印。裏には施主の盛岡葺手町萬屋父子の名が記されています。』
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鉄賽銭鉢(右)と龍頭(左)。
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説明書より…鉄賽銭鉢『岩手県指定文化財。慶長8年(1603)。鉄鋳造。口径50.3cm。総高24.0cm。脚高5.6cm。お賽銭やおひねりを受けた鉄鉢です。銘文は左文字(裏返しの文字)で鋳出されています。上下に三条の紐線をつけ、三本の脚にも上から二条・三条・三条と三段に太い紐をつけています。在銘鉄鉢として、とても貴重です。』・龍頭『江戸時代。漆塗彩色。高(大)45.5cm(小)27.5cm。長い竿の先に、これをつけ、龍の口元から幡という旗を数本垂らして、法要の行われる本堂前の庭を飾ったものです。木地に布下地を施して、漆塗彩色で仕上げられています。例大祭の御輿行列にも使われていました。』
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浮彫龍虎梅竹図(松材彩色・高166.5cm・幅199.0cm・浮彫厚9.0cm)。
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説明書より…『元禄3年(1690)。元禄の大修理に携わった大工たちが工事の完成を記念して奉納したものです。下縁部に墨書が確認され、「元禄三庚午歳九月七日」の日付と47名の大工名が列記されています。天台寺掲額絵馬の最古のものです。』
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天台寺寺号額(写真:獅子頭の後ろ。木製黒漆塗金箔押。縦95.0cm・横53.0cm)。
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説明書より…『天台寺は、奈良時代の神亀5年(728)に聖武天皇の命により僧行基が、八峯八谿(八つの峰・尾根と八つの谷)の当山に八葉山と名付け、山中の桂の大木を刻んで御本尊を聖観音菩薩とし、御宸筆(天皇の直筆)の寺号を額として掲げて開山したと寺伝が残っています。』
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観音籖及び筒(写真奥)と舞楽面(岩手県指定文化財)。観音籖及び筒(岩手県指定文化財・高さ20.4cm)はいずれも応永16年の紀年銘で字体も当時のもの。願主は白雲道山。岩手県最古の紀年銘遺品。88本の原籤には「桂泉公用」の墨書があります。「唐本の竹簡をもって謄す」の銘から推測すると、円任請来の「判一百條」の写しと考えられ、占術信仰史の上から特に貴重な資料となっています。
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説明書より…舞楽面『鎌倉~室町時代。桂材。漆地・錆下地・彩色・金箔押。舞楽は雅楽とも呼ばれ、打楽器を加えた典雅な管弦楽を伴奏に、美麗な装束の舞人が舞うものです。平安時代以降は宮廷や社寺の種々の行事に盛んに演じられました。地方作の面がまとまって伝わる貴重な資料です。』
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棟札と銅梵鐘(総高109.0cm・口縁径71.5cm)。
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説明書より…銅梵鐘『明暦3年(1657)鋳造。元中9年に南部守行が梵鐘を鋳造する予定でしたが、何らかの事情で果たせず、久慈長久寺住持義山明恩撰の鐘銘は軸で宝蔵に保管されていました。そこで南部重直が祖公の遺志を継ぎ、旧銘も刻んだとあります。明暦の鐘銘の撰者は、国書偽造の罪で盛岡に流されていた規伯玄方(無方規伯・方長老)です。』
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いずれも素晴らしいものばかりで、大変見応えがありました。
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ってことで、『天台寺(浄法寺町) ~ 其之漆』へ続く…ちなみに今回のルートと現在地。
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