秋田県大館市川口長里。八幡神社、通称川口神社です。
社号標「邨社(村社)八幡神社」。昭和3年4月。発起人本家佐藤家一同。
川口集落の入口の高台に鎮座。中世館跡であり、中世後期の城郭跡と思われる空掘りなどが見られます。羽州街道と十二所街道が交わるこの地は交通の要所であり、比内地方を支配した浅利氏の家臣佐藤兵助が館を築きました。
参道途中で石橋を渡ります。
階段石橋建築記念碑。
裏面碑文…『本起工々事ハ大正十五年旧五月廿日川口観誾會々員二十二名ノ者部落寄附金ヲ募リ同年七月廿日是ヲ完成シタルモノナリ 昭和二年三月十一日』
手水石。
境内は御神木の巨木に囲まれています。
手水舎。
石灯篭一対(昭和8年旧3月11日)。
狛犬一対(昭和8年旧3月11日)。
御祭神は応神天皇。例祭日は5月5日。
創建不詳。明治5年4月村社。明治41年6月22日2反4畝12歩境内編入許可。
かつての川口村。羽州街道整備により川口村本郷は宿駅場に指定。浅利旧臣佐藤氏は当初より肝煎に抜擢され、肝煎家文書を伝えます。村鎮守として八幡社が見えるほか、神明社、稲荷社、雷神社、水神社、観音堂がみえ、明治以後の合祀により川口神社となっています。
立派な拝殿の神額。
こちらの建物は恐らく合祀殿です。
建物の前にあった巨石。
ちょっと読み取りにくい感じでしたが、「佐藤兵助」の名や「安政四年」の紀年銘なども見えることから貴重なものです。
建物内。
境内社(合祀)が並べられています。
山神社。
暗くて棟札等までは見えませんでした。※ライトがあることに後から気付きました。
唐松神社。
稲荷神社。
雷神社。
保食神社。
水分社。
ってことで棟札はあるのですがいずれも確認しておりません。
八幡神社鎮座570年記念碑。
八聖山。
拝殿改築記念碑…『當八幡神社ハ應仁年中元佐藤兵助氏ノ氏神トシテ城内ニ奉齋セシニ初リ村人モ皆之レヲ崇敬シセリキ然ルニ元和二年村民一同ノ希望ニ依リ村社ト爲シ後寛政四年十一月社殿ヲ新築シ明治二十年三月ニ至リテ神殿ヲ新築シ昭和七年十月氏子一同ノ協議ヲ以テ拝殿改築ノ工ヲ起シ同八年四月竣成ヲ告ゲタリ依而茲ニ之レヲ誌ス』
三十五周年記念之碑。状態はいいのですが省略します。主に川口永代敬神講の功績です。
神社の国道側に「小林多喜二生誕の地」の標柱がありました。なお、小林多喜二生誕の地碑は下川沿駅前にあります。明治36年(1903)10月13日、秋田県北秋田郡下川沿村川口字長里236の1に、父末松、母セキの二男として生まれました。家は貧しい自作兼小作農でした。4歳の時(1907年)の12月下旬、伯父慶義に呼ばれて、一家を挙げて北海道小樽へ移住。両親は伯父の経営していた三星パン店の支店を開きました。生活は苦しかったものの、伯父の援助で、小樽高等商業学校(現在小樽商科大学)を卒業、大正13年(1924)、北海道拓殖銀行に勤めました。昭和4年(1929)に代表作「蟹工船」を完成。しかし、左翼運動のために銀行を解雇され、昭和5年3月に上京。以後、プロレタリア作家同盟の有力な指導的メンバーとして活躍。昭和7年春ごろ、弾圧を逃れて地下生活に入りましたが、翌8年(1933)2月20日、街頭で連絡中逮捕され、築地署で激しい拷問を受け死亡。昭和32年(1957)6月、奥羽本線下川沿駅構内に江口渙氏の筆による「小林多喜二生誕の地」の石碑を川口部落の故佐藤栄治氏達の手で建立。
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