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青森県つがる市木造出野里山吹。
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かつての出野里村。
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出野里村の神社仏閣として、集落西部に貞享3年創建(もしくは正徳6年)の神明宮ほか、集落北部に元禄10年(もしくは元禄15年)草創の浄土宗出里山無量院が見えます。御本尊聖観世音菩薩。
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無量院は過去に2度の大火、水害に遭っており、焼失や流出により古い仏像及び記録等は残されていません。
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過去帳によりますと、「大善寺四代祖廓和尚開基。当寺造立元禄五年四月八日。境内反別一畝十七歩」とあります。更にこの後に「良東上人=天保七年三月十二日、貞昌寺から。良順長老=嘉永三年七月貞昌寺から来て蟹田専念寺へ。良直上人=天保九年四月専念寺から。良乗上人=天保十一年四月深浦より」と4名の住職の名があるだけで何代かは書かれていません。
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津軽八十八所霊場第78番。
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観音堂。
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観音堂内。
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私の下調べでは確か阿弥陀如来だったのですが…記憶違いかな…。向って左から水子観音・聖観音・地蔵菩薩です。
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「出里山 岩木の流れ清ければ 無量諸仏の迎えぞ待つ」
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隣に閻魔大王と奪衣婆。
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こちらは弘法大師像かな。網代笠というより…お椀もしくはヘルメットみたい。
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地蔵堂(※観音堂と同じ建物)。次のような伝説があります。明治初めの2月14日、冬では珍しい大水にて堤防決壊。寺を中心に付近一帯が大きな沼と化してしまいました。60日間も沼のような状態が続きましたが、ある日突然、境内に祀ってあった石の地蔵様が浮き上がり、沼の中をぐるぐると何回も回り始めました。その後、水が引き始めたと云います。以来、その地蔵様は浮き地蔵と呼ばれるようになりました。浮き地蔵は今も地蔵堂に祀ってあります。また、無量院から南へ約100mのところに「沼」の俗称が残っているといいます。この洪水があってから10年後に、寺の西側にあるセキの中から一冊の過去帳が見つかりました。上記で紹介した過去帳です。厚めの和紙を使用していたのと、土の中に埋まっていたことから29日、30日の分が欠如しているだけの状態でした。
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木造町史か何かの文献にて浮き地蔵の写真を見たことあるのですが、あまり特徴がなかったと記憶していて、どれが浮き地蔵かはわかりませんでした。
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宗祖圓光大師碑・百萬遍(平成10年8月)。
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無量院廿一世中興開山正僧正佐藤徳亮大和尚。
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戦歿者慰霊之碑(出精遺族會建立)。
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