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千畳敷海岸。青森県西津軽郡深浦町にある海岸。津軽国定公園。地名をとって深浦千畳敷ともいいます。
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昭和49年に深浦町指定記念物(名勝)に指定。昭和50年に津軽国定公園(東津軽郡外ヶ浜町から西津軽郡深浦町まで約180km、25966㌶)、平成10年に環境省による「日本の水浴場55選」、「日本の夕陽100選」に選定。
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寛政4年(1792)の地震で隆起したと伝えられる約12kmにわたる海岸段丘面です。深浦町は、幾度となく隆起を繰り返しており、海岸線を走る鉄道や車道から、綺麗な海岸段丘の階段が観察できます。
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千畳敷もこの段丘面の一つであり、大潮の日など引き潮が激しい時には広く千畳敷を観察されます。波の強い日には浅瀬の淵に波が立ち、高い段丘面上から観察すれば、千畳敷のような地形が幾つもあることに気付きます。段丘面の1段上には遊歩道(階段)で行くことができます。登って日本海を見下ろせば海岸段丘が観察できます。展望台・灯台がありますよ。
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千畳敷はその昔、物珍しがった津軽藩の殿様が領内巡幸の折、そこに千の畳を敷かせ、200間の幕を張って大宴会を開いたとされることから命名。藩政時代には殿様専用の避暑地であり、庶民は近付けなかったといいます。
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幕末には松浦武四郎が訪れて「その風景実に目ざましい」と絶賛。
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また、千畳敷周辺には奇岩奇石が多く、千畳敷駅の手前にある大きな岩は大仏岩(大戸瀬岩)と呼ばれ、東側から見たシルエットが、丁度大仏が座っている格好に見えます。それよりやや東側の駐車場が整備されている場所には、兜岩と呼ばれる岩があります。兜と言っても西洋甲冑の兜の形をしており、岩の一部がざっくりと切り取られた形をしています。地元では、昔なにがしというサムライが刀で切り落としたという伝説が伝わります。その他、ライオン岩、鷲岩、鎧岩、大黒岩、小戸瀬岩、恵比寿岩、盃乃潤、潮吹岩などを見ることができます。
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千畳敷駅から山側を見上げると段丘の断層面が露わになっており、地下水が染み出ています。
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冬になると、この地下水が凍り付き、幻想的な氷の滝(氷のカーテン)となることで有名です。
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千畳敷の岩々は信仰の対象にもなっていたようで、大仏岩、大黒岩、恵比寿岩などの名前が付けられています。
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岩には大戸瀬観音や数多くの石仏が建立されています。
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大戸瀬観音。
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御利益は海上安全・交通安全。
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小祠です。
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祠には「魚籃観音堂」とあります。
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大森初五郎參拝記念碑。碑文…「東津軽郡油川町・昭和4年ヨリ觀音祭ニ廿々年参列・昭和22年旧6月18日堀江たか建立」。
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故山本藤吉之碑。「西澤電燈會社起業工事・大正15年8月24日旧暦7月17日殉職・大正15年11月15日山本良一郎立之」
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山下良子歌碑(柾五郎書)。1つは達筆にて私には一部読めず…「釣りありし烏賊きらめきて■くといふ漁火見つゝ夫は語れり」。1つは「時間忘れ観音堂に打ちこめる夫は職人の貎を持ちたり」。
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こちらも山下良子歌碑。詠:山下良子(号春華)…木造短歌会、中部短歌会、書の会玉華。書:花田柾五郎(号光洲)…金木短歌会会長、津軽アスナロ、日本習字連盟教授。
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「ゆらゆらと夢から醒めし朝まだき 夢なりし事知らしむ白光」
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大町桂月文学碑…『「千畳敷」大正11年11月7日桂月。北金沢も過ぐれば、山脚直に海に接するやうになりて、嬉しや、目ざしたる大戸瀬に達せり。幅の七八十間は海に突出したる方面の長さ也。長さの五六町は海に横はりて、陸に接する方面の長さ也。唯これ一個の盤石、数万人を立たしむるに足れり。二つ三つ幅一間ばかりの割れ目ありて深く入り、怒濤白竜となつて躍り込む。一体に平らかにして、海面よりほんの二三尺も高し、世にも斯ばかり偉大なる盤石あるかと驚く。この大盤石の中に、杯池とて二三尺四方の水溜りあるかと思へば、兜岩、鎧岩、恵比須岩など、小岩峰も屹立す。少し離れて、海中に獅子岩立てり。後の草の平丘に巌角露はれて、菌岩人を見下す。さても造化は大戸瀬に奇工を尽しけるもの哉。前は渺々たる日本海、怒濤怒濤を追ふ。後は唯一面の草の平丘、東西南北どちら向いても山を見ず。背景が物足りぬやうなれども、それが却つて大戸瀬の偉大を擅にする所以也。我れ巌を叩いて、天地の間唯汝と我とあるのみと云へば、怒濤脚下に押寄せて、我狂笑うに似たり。※紀行文-「陸奥の海岸線 五 大戸瀬の奇岩」より抜粋』
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文学碑建立に寄せて…『明治・大正期の文人、大町桂月は大正11年11月7日、西海岸探勝の途上この地を訪れ、千畳敷海岸の奇岩怪石を賞讃、表刻の紀行文により紹介している。桂月の没後75周年にあたり、深浦来町と青森県文化・観光立県宣言を記念し、景勝地・千畳敷海岸の更なる観光振興を願いこの碑を建立する。平成12年7月吉日深浦町桂月文学碑建立協賛会』
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千畳敷海岸隆起生誕200年記念タイムカプセル(深浦町)碑。
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千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑…『太宰治小説「津軽」・・・・・・木造から、五能線に依って約三十分くらゐで鳴澤、鰺ヶ澤を過ぎ、その邊で津軽平野もおしまひになって、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の餘波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。この邊の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで、その海蝕を受けて平坦になった斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、數百人の宴会を海濱に於いて催す事が出来るほどのお座敷になったので、これを千畳敷と名附け、またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼と稱するのださうだけれど、直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よっぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。この邊の海岸には奇岩削立し、怒濤にその脚を絶えず洗はれてゐる、と、まあ・・・・・。』平成5年7月30日深浦町長平沢敬義建立。
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大物有名人が多数訪れている「食堂・民宿 田中」さんへ。
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明るく元気な女将さんと色々お話しながらウニ丼を頂きました。ごちそうさまでした!
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それにしても今年の夏は嫌になるほどウニ丼を頂きました。たぶん「あるでぃ~ば」の反動です笑
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千畳敷再訪記事:『千畳敷  (青森県)

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