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秋田県大館市大子内三ツ梨。
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ハチ公トイレ。中はいたって普通のトイレです。一応確認しました笑
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トイレ前にあるハチ公生家標柱…『秋田犬は1931年日本犬として最初に国の天然記念物に指定されました。1923年11月に大子内(おおしない)の斎藤義一宅に生まれた秋田犬は父大子内号、母胡麻号。生後50日前後で東京に送られ、東大農学部の上野英三郎博士に飼われてハチと名付けられました。1925年博士が亡くなった後も渋谷駅に迎えに行く姿が新聞で紹介され、「忠犬ハチ公」として知られるようになり、1934年には渋谷駅前にハチ公の銅像が建立されました。1935年一生を終え、博士のそばに葬られました。生家前には「忠犬ハチ公の生誕地」の石碑が建てられています。』
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向かいの生家前へ。
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忠犬ハチ公生誕の地(平成15年10月12日・忠犬ハチ公生誕80周年記念事業実行委員会)…『大正12年秋、斎藤家に大子内山号を父犬、ゴマ号を母犬として4匹の秋田犬が生まれた。当時この地では耕地整理事業が行われ、その技師たちの恩師にあたる東京帝国大学農学部教授上野英三郎氏は、かねてより秋田犬を飼いたいと望んでいた。翌年の1月、その中の一匹がこの地より旅立った。列車は折悪しく地震のために遅れたがどうにか無事に上野駅に到着する。大正13年1月15日、その仔犬は、上野博士の腕に抱かれ「ハチ」と名付けられた。』
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結構ボロボロ。
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隣のハチ公像(贈嶋田松雲・平成元年12月吉日)。
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こちらも結構ボロボロ…それともこういう作風なのかな。
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忠犬ハチ公生家。生まれた当時の家が残っているわけではないようです。現在も秋田犬を飼っているかも不明です。少なくとも犬小屋はありませんでした。
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立派なお庭。
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ハチ公はどこにいるでしょう?
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ここです。
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庭には忠犬ハチ公ふるさとガイドという碑(「絆」元国連事務次長明石康)があります。碑文…『時空を超え、現代の私たちに今なお強く訴えてくれるものがある。それは「忠犬ハチ公」であろう。人を思い、犬を思いやる秋田犬ハチと上野博士との絆から生まれた、極めてまれな物語である。それはただひたすら、可愛がってくれた主人のぬくもりや匂いを求め、渋谷駅改札口で待ち続けた10年間だったのである。ハチが生まれたのは大正12年(1923)11月。斉藤家は農業を営む旧家、義一、ムラ夫妻、才治(獣医師)、キク長男夫婦と、七郎エ門(長男)の一家。それに家族の一員だった二匹の秋田犬がいた。のち四匹の子犬が生まれ、そのうちの赤毛の一匹が東京帝国大学(現東大)農学部教授上野英三郎氏に飼われる。しかし1年半後、教授は急逝する。のち「忠犬ハチ公」としてドラマの主人公となり、日本はおろか全世界に知られることになる。そして老犬となったハチ公(12才)は、渋谷区三丁目稲荷橋近くの路地で、朝露にぬれ、穏やかな顔をした動かぬハチ公が発見されたのは、昭和10年(1935)3月8日だった。』
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ありし日の忠犬ハチ公の写真がかろうじて見えます。
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ハチ公の出生系譜がかろうじて見えます。
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ハチ公誕生場所と当時の斉藤家間取りがかろうじて見えます。土間に繋がる馬屋の角の物置で生まれたようです。
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近くにある大子内町内会館(わらしっ子会館。秋田県大館市大子内林ノ上。八幡神社隣)に、ハチ公関連の写真や新聞などが色々と展示されていました。
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渋谷駅改札前のハチ公の写真やハチ公の血筋を引く玉櫻やその子どもたちの写真もありました。ちなみにガラス張りで反射するため写真はあまりありません。現地で見て下さい。
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