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秋田県大館市二井田贄ノ里。結構場所がわかりにくいかも知れません。羽後二井田郵便局はす向かいの虻川理美容室さんの横の細い路地を入ったところに鎮座しています。贄の柵跡の近く。
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なかなかの巨木がありますが、これもあまり目印にならないと思います。
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ちなみにこの巨木に関する案内板は特にありませんでした。
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手水舎。
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御祭神は誉田別大神、天照皇大神、大山祇命、菅原大神。
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例祭日は旧暦8月15日。
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創立年代不詳。当地は奥州平泉4代終局の地であり次のような言い伝えがあります。
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当神社は元、諏訪八幡と称していましたが、後に泰衡八幡となりました。その理由として、文治5年に源頼朝の勢に追われた藤原泰衡が、累代の臣である河田次郎行文を頼って、行文が領知する此処二井田贄の柵に落ちてきましたが、かえって行文に害され、その死骸は錦の袍と共に出向の地に葬られました。村人はこれを哀れみ、自然石(錦神社御神体)を建てて秘かにその霊を祀ってきましたが、後年、村中に怪異があり、村人はそれを泰衡の祟りとして、慰霊のために、出向の霊地に一宇を建て、錦堂(現錦神社)と称して公然と祭祀し、また、鎮守社を諏訪八幡と称するのをやめて、泰衡八幡として尊崇したところ、怪異は止んで村は栄えたということです。
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明治6年村社、同40年神饌幣帛料供進神社指定。同43年同村字高村神明社を合併。昭和35年社名を二井田八幡神社に改めました。なお、昭和10年、明治以前の旧社殿を高村神明社に譲っているため、神殿はその頃に新築されているものと思われます。
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拝殿脇障子。
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社殿脇の御神木。
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紀元2600年記念碑。
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狛犬一対(昭和11年旧2月1日)。
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ほぼ崩壊している石灯篭一対。
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石灯篭一対(昭和3年■月15日)。
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石灯篭一対(昭和10年8月15日)。
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狛犬一対。
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神厩舎。
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御神馬。
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巨木の根の上に石碑。
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稲荷神社・琴毘羅神社(明治3年)。
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読み取れない碑。
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境内神社の唐松神社。
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