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稗田神社(大田区文化財)…『式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である。平安時代(10世紀)に編纂された「延喜式」の神明帳に記載され、また「三代実録」に貞観6年(864)「武蔵国従五位下蒲田神を以て並びに官社に列す」とあるのが、この神社であろうといわれる。社伝によれば、和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を刻んで安置し、鎌倉時代(13世紀後半)に日蓮が村民の請いをいれて開眼したと伝えられる。江戸時代(17-19世紀後半)には隣接の栄林寺が別当であったが、明治初年(19世紀後半)の神仏分離により独立し、旧社格は郷社に定められた。昭和49年2月2日指定。大田区教育委員会』
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稗田神社の石鳥居(大田区文化財)…『花崗岩製、明神型鳥居。高さ310センチ、柱間314センチ。笠木は、全体にゆるやかな反りをもって、柱とのつり合いもよく、安定した姿を見せる。柱背面の銘文から寛政12年(1800)、北蒲田村の氏子により寄進されたことがわかる。区内の鳥居では古いものの一つであり、貴重である。また一方の銘文には「蒲田井郷稗田神社」と刻まれる。蒲田井は「ほたい」と読むといい、稗田神社は蒲田神社と呼ばれたと伝えられる。蒲の古字といわれる稗(稗に草冠)の字が当てられたことから、「ひえた」の発音に変化したと考えられる。昭和49年2月2日指定。大田区教育委員会』
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境内由緒碑…『主祭神:誉田別命。相殿:天照大神、武内宿禰命、荒木田襲津彦命、春日大神。例祭日:9月15日。抑も当社は三代実録延喜式その他の古文書に明記せられたる由緒深き所謂延喜式内の神社にして蒲田創草の古社なり。和銅2年(709)僧行基は天照・八幡・春日の三神体を造り本社に安置す。後年僧日蓮は池上宗仲の舘に入るに及び村民の請を容れ改めて開眼すると伝う。清和天皇貞観6年(864)官社に列し従五位下を賜り明治5年10月郷社に定めらる。安政4年(1857)拝殿を改築元治2年(1865)本殿を改築昭和4年拝殿・幣殿を改築昭和9年本殿屋根葺き替え及び神楽殿を新築す。昭和20年4月15日戦災のため灰燼に帰す。昭和21年9月15日仮本殿を再建し昭和29年8月15日本殿・幣殿・拝殿を新築す。昭和31年8月15日。宮司上野喜信撰』
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蒲田八幡神社の兼務社です。御祭神は誉田別命、天照大神、武内宿称命、荒木田襲津彦命、春日大神。宝物として誉田別命と天照大神の木造神像2体があります。
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和銅2年(709)創建。延喜式内社の稗田神社として、当社が正史にあらわれるのは貞観6年(864)ですが、社伝によりますと歴史は更に深く、和銅2年、僧行基が天照・八幡・春日の三神体を造り、本社に安置したとあります。その後、弘安5年(1282)に日蓮が池上宗仲の邸に入ったとき、村民の要請により、この三神は日蓮によって開眼。但し、現存の式内社についての全国調査結果をまとめた式内社調査報告によりますと、この社伝は信憑性に欠け、惣國風土記に基づいて潤色されたものであろうと記されています。ただ、当社に1体の石造(春日)と、2体の木造の神像が安置されてきたことは確かであり、この点は社伝の三神体と一致しています。また、斎場としての歴史は更にさかのぼり、第11代垂仁天皇の御宇神地神戸をお定めになって天神地祇を崇敬し給いし霊地とも伝えられ、この地に集落ができるとともに成立した蒲田創草の古社です。
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社殿。
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手水舎。
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石灯籠一対(明治7年7月吉祥日)。
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狛犬一対(昭和34年8月15日・氏子一同)。
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灯籠一対(平成12年8月吉日)。
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明治維新百年記念献燈一対(昭和43年9月15日建立)。
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三十番神社。
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稲荷神社。
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手水石。
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狐一対。
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薬祖神社。
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狛犬一対(紀元2600年記念)。
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天祖神社碑。
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山野神社合祀碑。
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社務所。
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鹿児島紅。
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献木十本碑(匿名崇敬婦人)。
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