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上杉神社摂社の松岬神社。社号は米沢城の別称「松岬城」に由来し、「まつがさきじんじゃ」と読みます。
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松が岬公園(米沢城址二の丸世子御殿跡・米沢市丸の内)に位置し、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀ります。
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石灯篭一対(雲州松江製石燈籠二基・大正元年9月)。
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庭園。
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石灯篭一対。
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手水舎。
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二之鳥居と石灯篭一対。
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上杉謙信の祠堂を改めた上杉神社に合祀された米沢藩中興の大名上杉鷹山は、明治35年(1902)に上杉神社が別格官幣社に列せられるに際し、米沢城二の丸世子御殿跡に設けた摂社である松岬神社へ遷されることとなりました。大正元年(1912)9月28日に神殿が造営され県社となります。併せて神餞幣公料供進神社にも指定されました。大正12年(1923)4月に米沢藩2代上杉景勝、また米沢市制施行50周年にあたる昭和13年(1938)には、景勝の家老である直江兼続、鷹山の師である細井平洲、鷹山の下で活躍した竹俣当綱・莅戸善政を合祀して現在に至ります。
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例祭は4月30日(春祭)と9月最終土曜日(秋祭)。春祭は「米沢上杉まつり」期間中に含まれ、連日参詣者で賑わいます。国指定重要文化財「太刀 銘助宗 附革柄革包太刀 上杉景勝所用」所蔵(昭和2年指定)。
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拝殿前狛犬一対(昭和18年4月28日・山形縣絹人絹織物産地元賣株式會社)。
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庭園内の灯篭・織物殖産記念碑(大正8年4月)・高梨翁碑(昭和9年10月)。
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上杉鷹山の伝国の辞碑。上杉鷹山が次期藩主治広に家督を譲る際に申し渡した3ケ条からなる藩主としての心得。伝国の辞…『一、國家は先祖より子孫へ傳え候國家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は國家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、國家人民乃為に立たる君にて君の為に立たる國家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有間敷候事 天明五巳年二月七日治憲(花押)治廣殿 机前』
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『米沢藩中興の名君10代上杉鷹山公は天明5年(1785年)2月6日御歳35才で餐霞館に隠居されましたが翌2月7日11代治広公に藩主としての心構え3か条をお示しになりました。これを伝国の辞といいます。「伝国の辞」一、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして我私すべきものにはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべきものにはこれ無く候 一、国家人民の為に立てたる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有るまじく候事 天明5巳年2月7日治憲(花押)治広殿 机前』
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松岬神社…『明治35年(1902)に上杉神社から上杉鷹山を分祀し「松岬神社」と称し、大正元年に社殿を建立した。大正12年に米沢藩初代藩主の上杉景勝を合祀、昭和13年には景勝の重臣・直江兼続、鷹山の師・細井平洲、鷹山の藩政改革を補佐した功臣・竹俣当綱と莅戸善政を合祀して、祭神は六柱となった。社号は米沢城の別称「松岬城」に由来し、境内には鷹山が隠居した際、藩主治広に与えた藩主の心得三か条「伝国の辞」の石碑などが建つ。米沢市』
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