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伝国の杜・米沢市上杉博物館・置賜文化ホール。特別展「上杉家の名刀と三十五腰」開催中でした。
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米沢市上杉博物館の横、上杉伯爵邸との間。南堀端町。
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なお、南堀端町の路地を真っ直ぐ南に向かえば、北谷地小路(侍町で、主に御馬廻組に属する中級家臣団の屋敷があった場所。伊達政宗がここで落馬し怪我を負った記録があります。)と繋がります。南堀端町の路地と北谷地小路の間には細井平洲先生の逗留邸跡があります。
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細井平洲先生の逗留邸跡…『上杉鷹山公終生の師、細井平洲先生は3次に渡り米沢へ下向し講義を行ったが、寛政8年(1796)9月、3度目の米沢下向時、この地に在った奥山良助邸に逗留し、領民に講話を施し、鷹山公との深交を結んだ。同邸は鷹山公の住む餐霰館に近く、新築直後の立派な邸宅であった。また鷹山公は、平洲先生が花鳥風月を好まれたと聞き、庭園に泉水と庭石を配して先生を迎えられたという。平洲先生と鷹山公の師弟愛を伝える跡地の一つである。米沢御堀端史蹟保存会』
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旧町名由来「南堀端町」(現町名城南一丁目)…『北堀端町と共に米沢城二の丸南側濠に沿った町のため、ついた町名である。濠沿いということで片側のみに人家がある片町であった。』
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伝国の杜の野外施設、置賜の庭。古くから、置賜の人びとは自然を畏れ敬い、自然の恵みに感謝し、さまざまな知恵を働かせて暮らしてきました。そこに置賜特有の信仰や習俗が生まれたのです。行屋や草木塔、かてもの(飢饉の時に飢えをしのぐ食物)などは、置賜に生きた先人たちの自然に対する思いや知恵を物語り、後世に伝えてくれます。
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かてもの園では上杉鷹山が編纂を命じたかてものに取り上げられている植物をはじめ、四季折々に置賜の人々が食してきた植物を紹介しています。また、上杉鷹山は医学振興にも力を注ぎ、医学館好生堂を新設しました。更に本草学者佐藤平三郎を米沢に招き、藩内の医師とともに薬草の栽培や製薬技術の指導・研究を行わせました。薬草園ではこのような伝統的な薬草を見ることができます。
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行屋。米沢市六郷にある公益財団法人農村文化研究所の所有で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
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行屋内部。
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『置賜地方では、古くは飯豊山、後には出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)をあがめる山岳信仰が盛んで、男子が13~15歳になると、成人の儀礼としてこれらの山に登拝する習わしがありました。行屋はその前にこもり、水垢離をとって身を清めるための建物です。庭の行屋は江戸時代の終りごろ、米沢市六郷町桐原で使用されたものです。』
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草木塔。
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江戸時代中期以降の置賜地域の特徴的な石造物です。
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『置賜の人びとは、草木にも魂が宿ると考え、木を伐採したときはその霊を鎮め、再生することを願って「草木塔」「草木供養塔」と刻んだ石塔を建てました。草木塔は、田沢地区塩地平の安永9年(1780)のものを最古として、現在にいたるまで建立され続けており、70基以上が確認されています。』
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その他、庚申塔、湯殿山・飯豊山碑など庶民信仰を示す石造物がありました。
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伝国の杜前にあるべに花庵のうこぎソフトです。
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うこぎって?…『ウコギとはウコギ科の植物で、米沢地方では古くから食用を兼ねた垣根として利用されています。特に米沢藩九代藩主「上杉鷹山」がウコギの垣根を奨励したとされ、春から初夏にかけての新芽がおいしく、おひたしや天ぷらをはじめ様々な料理法でいただけます。』
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