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東京都中央区銀座3丁目。銀座八丁神社めぐりの一社。
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ブラタモリでも紹介された神社です。
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拝殿天井。本殿はパイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されているそうです。本殿の背後にはスピーカーが付いており、地上拝殿の参拝者が鳴らす鈴の音や柏手が、御本殿に届くようになっています。
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大広朝日ビル1階にある朝日稲荷神社拝殿と屋上にある本殿。
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案内板。
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朝日稲荷神社御縁起…『朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し、浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。大正6年、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れた、建築業館岡某が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され、東京市の管理下にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。昭和63年 銀座三丁目町会』
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本殿へ向かいます。
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屋上本殿へはエレベーターで8階まで上がり、そこから外階段で更に上がるようです。
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8階です。
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外階段で屋上へ。
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屋上です。
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屋上スペースは決して広くはありませんが、すべてが朝日稲荷神社の境内となっています。
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大きな絵馬(銀座三丁目町會・平成3年3月20日奉納・珠泉謹写)がありました。
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手水石。
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朝日稲荷神社本殿。少し待ってみましたが中々拝殿に参拝者が来ません。残念。
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鳥居扁額。
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石灯篭一対(昭和46年)。
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