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南部町大向経ケ森。三戸駅からも比較的近い場所。入口は2ヶ所ありますが、いずれの入口にも案内板や鳥居が無いのでわかりにくいです(厳密にいえば本殿裏手からも行けるようになっていたので3ヶ所)。
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道路からはこのような感じで神社と鎮守の森が見えているので、何となくわかるとは思いますが。
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思っていたより境内が広いですね。
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向大神宮。
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正面石段。
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石段の脇にあるこの松が何か凄いです。
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三頭木ではなく、3本の松がそれぞれ根っこで繋がっている感じ。
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石段の下から見るとこんな感じ。
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こちらもある意味似たような感じですね。
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向大神宮社殿。
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向拝神額「大神宮」。
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社殿内。
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向大神宮経ヶ森由緒…『向大神宮には、古来から「小田子様」と称せられる「火の神」を奉齋していたと伝えられる。その後、安政元年、極檀忠太翁が仲間(名不詳)を集めて、本殿の部分を建立した。初代別当は、工藤與五七(弘化元年2月10日生、1844年)なるものが仕え、明治4年、與五七が27才の時、伊勢の皇太神宮を参詣、そのおりに神明様(祭神天照大神)を御分霊拝受して経ヶ森の向大神宮お奉齋したと伝えられている。明治の時代に、大洪水に見舞われ経ヶ森の下までの増水となった。この時、別当與五七が一心不乱に経文を唱えると、溢水していた水も次第に少くなり危うく一難を免れたという。この様に経文を唱えた御利益から、この地を「経ヶ森」と称するに至ったとの説がある。現在本殿に祀られている御神体…天照皇大神御分霊・愛宕大権現御分霊・小田子様。経ヶ森境内には主尊…不明、石造、寛政11年己未7月吉日。稲荷社…木造。阿保原地蔵尊…虫歯の神様。金毘羅…十和田、石造、安政4年丁巳7月。明神様。』
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本殿覆屋・火の見櫓。
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御神木の松。こちらの松も独特な形。
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末社の稲荷社。
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稲荷社内。
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棟札には「新築経ヶ森稲荷神社覆堂壱宇・平成2年11月3日」とありました。
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これまた独特な形の松。
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阿保原地蔵尊。
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下部に「刈田郡」と彫られています。
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象頭山金毘羅大権現・十和田山青龍大権現。
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安政4年丁巳7月。
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明神様。数字が見えるも紀年銘はわからず。下部分が欠損していると思われます。
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主尊。寛政11年己未7月吉日。
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招魂之碑(明治44年9月・帝國在郷軍人會向村分會建立)。
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招魂之碑修復寄進者御芳名(平成4年7月23日竣工)。
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眺望。
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