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宮城県仙台市青葉区宮町5丁目。
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宮町・宝蔵院標柱。
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宮町…『東照宮の門前町で、北六番丁から東六番丁北端までの南北の町。承応3年(1654)玉手崎の天神社跡地に東照宮が造営された際に町割りがなされた。全戸に五百文の田畑が与えられ、年貢や町方諸役が免除されたほか、仙台祭の日には絹布着用の特権が与えられていた。御宮町・権現町ともいわれた。』
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宝蔵院…『宝蔵院は、承応3年(1654)に東照宮の別当寺として建立された仙岳院の塔頭の一つで、明暦元年(1655)の寺領は25石であった。安政の城下絵図では現在の延寿院と梅田川の間に見えるが、その後廃絶した。地名はこの寺に因む。』
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延壽院は梅田川沿いにあります。
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天台宗眺海山延壽院。
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山門。
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山門をくぐると鳥居があり、神仏混淆の名残りを見せています。
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創建は万治3年(1660)に仙台東照宮の別当である仙岳院の傍院として建立され、寺領は35石を領していました。文政元年(1818)5月に火災により焼失し、仙岳院15世により文久元年(1861)に再建され、浄円房大権現を本尊である阿弥陀如来像と共に祀ることになります。浄円房は韋駄天のような足を持ち、師が死の床に付いた時、好物の最上の豆腐を求めると、すぐさま最上までの往復を走り抜き、生涯で羽黒山まで238回往復し78歳で入寂。現在でもその霊験にあやかり、足の病気などを治す力があるとされています。
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延寿院本堂。
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延寿院本堂は江戸時代後期の文久元年(1861)に再建されたもので、木造平屋建、桁行3間、梁行2間、入母屋、棧瓦葺で1間の向拝が付き、内部の天井は格天井で様々な草花が描かれており、平成8年に仙台市登録有形文化財に登録。
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本堂前石灯篭一対(左右の種類は異なります)。
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本堂前石碑…「奉参詣湯殿山二百三十八度・元禄十二己卯年六月吉日・淨圓大徳七十六歳」「南無阿彌陀佛・南無観世音菩薩・南無地藏菩薩・元禄七甲戌年六月四日」。由緒にもある浄円房の湯殿山参詣碑でした。
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延寿院地蔵堂。
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延寿院地蔵堂は、江戸時代末期の慶応2年(1867)に建立されたもので、木造平屋建、間口2間、奥行3間、切妻、桟瓦葺、妻入、内部に延命地蔵菩薩を安置しており、平成8年に仙台市登録有形文化財に登録。
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カワラケを供えて延命地蔵様に願うと、耳がよく聞こえるようになると言い伝えられています。
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こちらは疣神尊。
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浄円房が羽黒山から持ち帰ったという疣神尊が祀られています。
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疣の神様の言い伝え…『「疣神尊」は、浄圓房が羽黒山から背負い来て祀ったもので、水疣などの疣をとる神様として、今日でもお参りする人が多い。お参りの時に、お供えしてある小石をお借りして、持ち帰り、神前か仏前に供え、毎日その小石で疣の出たところを撫でると、不思議なことに疣がとれると言い伝えられている。疣がとれたならば、お借りした小石を倍にしてお返しする。一個借りたなら二個、二個借りたなら四個にして、お供えしてあったところにお返しする。倍にしてお返しする小石は、川原で探して下さい。清浄で滑らかな碁石位の小石が相応しい。』
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馬頭観世音(明治31年7月29日・升澤胞治建立)。
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石仏(享保6年3月15日)。状態がいいですね。
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こちらは面白い形をしていますが状態はあまり良くありません。
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こちらの供養塔は碑文からその内容を伺えます。悲しい内容ですが。『南無阿弥陀佛。日故亦十郎ハ相沢氏ノ四男明治二十九年ヲ以生八歳ノ時小学入ル哉大二学ノ八月七日遊泳中誤テ死ス嗚呼時年九歳。明治三十八年八月七日一回忌ニ建立供養ス。相沢三九郎』…南無阿弥陀佛。
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その他、石仏・墓碑等。
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天台宗眺海山延壽院(淨圓房)…『○〔由緒・由来〕延壽院は、創建当時仙台東照宮の別当寺院仙岳院の傍院として、万治3年(1660)に建立され、寺領35石をふせられていましたが、文政元年(1818)5月に焼失。文久元年(1861)仙岳院15世住職亮湛大和尚が再建。その際に、淨圓坊の木彫像を一体造り「淨圓房大権現」と尊称し、「阿弥陀如来」の石像と共に御本尊として本堂「淨圓堂」に祀り、今日に至っています。(阿弥陀如来縁日・毎月15日)○「淨圓房大権現」淨圓房大権現とは、江戸時代初期に仙岳院で修行して「淨圓坊」と呼ばれた実在の僧侶「淨圓大徳」のこと。韋駄天の様な健脚で、師僧が臨終の時に好物の最上の豆腐を所望したところ、即座に最上まで往復して豆腐を持ち帰り食膳に供して喜ばれた。と伝えられています。一生の間、湯殿山へ往復すること238回におよんだ霊験を讃えて、「淨圓房大権現」と尊称して祀ったのであります。足の病など難病を治す霊験があるとして、今も尚、尊崇を集めています。(命日・元禄11年11月28日)○「延命地蔵堂・延命地蔵菩薩」延命地蔵堂と延命地蔵菩薩像は、慶応3年(1867年)の4月に信徒の喜捨によって建立。お堂は平成18年に修理が施された。延命長壽を祈ることの他に、耳がよく聞こえるようにとカワラケを供えて延命地蔵様に願うと、聞こえるようになると言い伝えられています。(地蔵菩薩縁日・毎月24日)○「疣神尊」淨圓坊が羽黒山から背負い持ち帰り祀ったもので、水疣等の疣をとる尊像として、今もお参りする人が多い。○〔一隅会館〕伝教大師・最澄様の志を受け継いで始められた一隅を照らす運動の一環として、平成6年11月に壇信徒の懇親と地域住民の親睦を図ることを目的に建設されました。』
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さて、牛タン食べて帰ります。
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