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東京都中央区日本橋。宝田村(現皇居外苑付近)の鎮守。祭壇の中央に安置されている恵比寿神像は、慶長11年三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受け、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられています。明治6年1月16日神田神社兼務社。大正12年9月1日関東大震災にて本殿を除き悉く焼失。昭和初年頃に拝殿再建し現在に至ります。
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賽銭箱に丸に左三つ巴・丸に三つ蔓柏。
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10月19日・20日には商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれています。「べったら市」として有名で、両日は付近の小路にも露店が並び、浅漬大根のべったらを買う人で混雑するそうです。ちなみに神社隣には「BETTARA STAND 日本橋」があり、お酒と共にべったら漬けを楽しめるそうです。
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寶田恵比壽神社…『事代主命、少彦名命、大國主命、大己貴命、素盞嗚命』(昭和60年8月吉日諌鼓會)
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寶田稲荷神社御祭神…『宇迦之御魂神』(平成7年8月吉日諌鼓會)。
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宝田神社・恵比寿神御縁起と大伝馬町の由来…『宝田神社は慶長11年の昔360余年前江戸城外宝田村の鎮守様でありました。徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村の転居を命ぜられ(現在宮城内楓山附近)ましたので馬込勘解由と云う人が宝田村の鎮守様を奉安申上げ住民を引率してこの地に集団移轉したのであります。馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申上げたのが今日に至ったのであります。作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。其の後村民の生活は金銀為替、駅伝、水陸運輸、それぞれ重要な役を賜り馬込勘解由は名主となって三伝馬取締役に出世し御役名に因んで大伝馬町の町名を賜って、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張、家康公ゆかりの国々より商人を集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商賣発祥の地として大変賑ったのであります。現在も周辺の老舗大小商社が軒を並べて今尚盛んな取引が続いて居ります。宝田恵比寿神は商売繁昌、家族繁栄の守護神として崇教者は広く関東一円に及び毎年10月19日「べったら市」、20日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行なわれます。「べったら市」は「年またあらたまる」今年も年末が近づきお正月を迎える心構えをする商家にとって大切な年中行事として旧家は今日でも恵比寿講をお祝いするのであります。昭和45年10月吉日諌鼓會』
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社殿内。
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社号標紀年銘(昭和4年10月建立)。
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手水石(昭和4年8月吉日)。
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