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三戸郡田子町石亀上ミ平。石亀は石亀信房によって築かれた石亀館の館跡があります。南部氏第22代政康の四男紀伊守信房が造営。「慶長御支配帳」に「石亀館 四百石 石亀七左衛門」とあります。七左衛門は名を直徳といい、信房の孫にあたり、盛岡に移住して信直・利直の家老を務めました。幕末の盛岡藩の悲劇の家老と言われる楢山佐渡は石亀氏の分家。詳細はwikipedia(石亀氏)でどうぞ。
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石亀神社のケヤキは田子町指定天然記念物に指定されています。
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石段上。
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狛犬一対(昭和10年旧4月8日納)。
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更に一段高くなっている場所に社殿があります。
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石灯籠一対(昭和5年旧8月8日)。
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参道及び社殿の周囲は巨木に囲まれています。
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御祭神は少彦名命。
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例祭日は旧8月8日。文献・資料等焼失。
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慶長9年(1604)に南部家御先祖により建立と伝えます。安政3年「三戸通神社仏閣地名書上帳」によりますと、地内には法呂・薬師堂が見えます。神仏分離を経て、薬師堂が石亀神社と改称。現在は薬祖神として医療関係者の崇敬が篤く、また、醸造・漁業・産業の神としても崇敬を集めています。また、石亀神楽が町の無形民俗文化財に指定されています。石亀神楽は年中行事として、旧正月に地区の家々を回り、家内安全・五穀豊穣・火伏の門打ちを行ないます。拍子は田子神楽に比べて少々テンポが早く舞も機敏。昔は田子神楽は五拍子、石亀は三拍子といわれましたが実際は正調な五拍子。石亀神楽は斗内獅子舞の分かれで、本家斗内獅子舞は、盛岡南部領聖護院派山伏と羽黒派山伏を支配した三戸斗内黒龍神社別当修験威徳院が江戸時代初期に直系である白山大権現別当良覚坊を中心に結成した獅子舞です。始まりは明治時代で、石亀地区は大火災に見舞われたことで、このような災難に合わないようにと権現様を造り守護神として祭りました。そして石亀獅子舞組を発足させ、火伏の門打ちを例年行事としました。大正元年、斗内の道尻円造師一派の指導を受け、大正4年に石亀獅子舞が独立誕生。昭和21年に獅子舞を神楽と改め、石亀神楽保存会が誕生。その後、世の中の変化とともに幾度の消滅状態に陥るなどし、最近では1998年頃に途絶え、2014年に再度復活に向けて動き出し、2016年に復活したようです。
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社殿向かって左にある末社。手前の小祠は十和田山神社(大正2年9月8日・昭和40年旧8月8日の棟札あり。氏子一同)。
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奥の小祠は天照皇大神宮(大正2年9月8日・昭和40年旧8月8日の棟札あり)。
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末社前の御神木。
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社殿向かって右にある末社群。
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こちらは大山祇神社(大正2年9月8日・昭和40年旧8月8日の棟札あり)。っていうか日付は全部同じですね。
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吉備大神御殿(棟札日付は上に同じ)。足場が悪くて写真がボケボケ。
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八坂神社(棟札日付は上に同じ)。
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こちらの石祠はわからず。
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建雷命・経津主命御殿(棟札日付は上に同じ)。
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手水石。
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扇形です。
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