かつての目時村で国誌によりますと、地内に八幡宮と天満宮が見えます。
ちなみに古老の話によりますと、以前は村の東側の「ぼだいの木平」という所に鎮座していたらしいです。土地勘が無くてどの付近かわかりませんが。
手水舎。
石燈籠一対(国鉄退職記念・昭和53年4月1日)。
手水石。
御祭神は誉田別尊。例祭日は旧8月15日。境内地181坪、本殿1坪、幣殿2坪、拝殿6坪。
八幡太郎義家公が、此の地に仮宿された時に御神体を下され、当村の産土神になったと伝えます。
嘉永年間に現在地に社殿を建立し、京都より御尊体金の立像を勧請し、御祭神誉田別尊をお祭り申し上げたと伝えます。明治12年村社列格。
御神体は金鋳物二寸一分の直立像。奉納の鏡は円形径八寸。裏面は桐葉紋。明治15年7月15日奉納。製作者は天正太田播磨守藤原慶良。
拝殿蟇股・木鼻。
拝殿海老虹梁。
向拝下神額。
案内板より…『祭神誉田別尊(応神天皇)。由緒…八幡太郎(源)義家公が当地に来て宿泊したことがあった。その時、村人の心からのもてなしに深く感じ入った義家公は八幡様の御神像を賜った。その御神像を祀り、当社は創建されたといわれる。当社には優れた演技で有名な神楽が伝来していたが、惜しくも現在は中絶している。しかし神楽面だけは多数大事に保蔵されている。平成元年10月2日三戸町教育委員会』
石碑群。
石祠2基。
十和田山(天保7年4月7日)。
山神(文化5年9月4日)。
庚申・廿三夜塔(文化9年)。
出羽三山。
何かはわからない石もありました。
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