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御祭神:火産霊命(火の神・主祭神)、罔象女命(水の神)、大山祇命(山の神)、日本武尊(武徳の神)。勝軍地蔵菩薩(勝運・出世)、普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊)、天神社(学業)。
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境内末社:太郎坊社(猿田彦神)、福寿稲荷神社(宇迦御魂神)、弁財天社(市杵島姫命)、大黒天神祠(大國主命)、恵比須神祠(事代主命)。祭日:大祭9月23日・24日(出世の石段祭り/隔年)、中祭6月23日・24日(千日詣り・ほおづき縁日)、小祭各月24日(月次祭)。
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年間神事:1月元旦(歳旦祭)、1月7日(七草火焚き祭、七草粥授与)、2月節分(節分祭)、6月23日(千日詣り・ほおづき縁日(24日共)6月24日(中祭式(夏越しの神事))、9月23日(出世の石段祭り(隔年))、9月24日(大祭式)、12月大晦日(除夜祭・鏡開き式)。昭和20年、尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い山上にて自刃・玉砕、並びに2夫人がその後を追われました。現在も慰霊碑の前で御遺族、有志の人達の手により慰霊祭が行われています。
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御由緒…『慶長8年(1603)9月24日建立。当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永11年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(86段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ、「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。(ご社殿内に額縁寄贈)海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され、現在は6月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残りをとどめています。「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり」』
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愛宕山…『愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26メートルである。山頂に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の86段の急勾配の石段で、寛永年間(1624-1644)に曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられる。昭和50年12月東京都港区教育委員会』
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将軍梅。曲垣平九朗が家光公に献上した言われる梅の木。
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梅の近くには石や石灯篭があります。
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その他、境内にある石灯篭など。
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特にこの石が気になります。
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この木も何か凄い。
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招き石。
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『この石をなでて福を身につけて下さい』
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児盤水(小判水)の滝…『昔この愛宕の地に児盤水(又は小判水)と云う霊験あらたかな名水が湧き出ていました。承平3年、平将門の乱の時、源経基と云う人がこの児盤水で水垢離をとり愛宕様に祈誓をこめ神の加護により乱を鎮めたと云うことが旧記にのっています。然し現在では昔を偲ぶものとてありません。幸い都心に聳え立つ緑の名跡愛宕山にゆかりも深い児盤水の名をとどめ昔を偲び東京の新名所として御参詣の皆様に神のお恵みと心の安らぎを得ていただければ幸いと存じます。』
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説明の限りでは現在の池の水とは関係がないようです。
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畔の弁財天社があるので弁天池なのかな。
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立派な池です。
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都心のオアシスですね。
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池には船もあります。理由はわかりません。
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弁財天社。
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僅かながら池を渡ります。
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手水石。
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『祭神市杵島姫命。慶長15年安芸の厳島より勧請され音楽、財宝、弁財の守護神です。社殿両壁には篤志家自筆奉納の昇竜降竜があります。』
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愛宕山辨財天碑(昭和53年10月吉日・銀座五丁目ニュー東京ビルディング社長奉納)。
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社殿横の末社。
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左は太郎坊社。
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脇にあった石灯篭と手水舎。
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手書き感が素敵です。
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太郎坊社…『祭神猿田彦命(天狗様)。愛宕の太郎坊と古くから尊称され、天孫降臨の時、道案内をされた天狗様です。開拓、旅行等の守護神です。』
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右は福壽稲荷神社。
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福寿稲荷神社…『祭神倉稲魂命。福徳開運十種の神、衣食住、農工商の守護神として民間に信仰の厚い神様です。』
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福寿稲荷神社の横にある石祠は大黒天神・恵比寿神祠。
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大黒天神・恵比寿神祠…『祭神大國主命・事代主命。七福神の内の二神で福徳、延寿、善心、智恵、療薬を与える神様です。11月甲子大國天祭。1月10日十日夷講、10月20日二十日夷講。』
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狂歌合長者園撰碑。碑には線刻された弁財天、恵比寿像と、たくさんの狂歌が刻まれていますが達筆過ぎて読めず。
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