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社号標「日ノ宮櫻田山神社」。日ノ宮についてはよくわかりませんでした。月ノ宮があるのかな?栗原市一迫北沢(櫻田山神社の南西、県道17号線沿い)の山神社(御祭神:小泊瀬稚鷦鷯尊(武烈天皇))とか…もしくは栗駒山に関係するとか…わかりませんが。
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櫻田山神社社記…『祭神:小長谷若雀命・譽田別命。人皇25代武烈天皇東奥駒形山麓の地に遷御のみぎり狩野掃部之祐久我大連の両人天皇に奉仕し此の地にとどまり天皇崩御の後天皇を追慕し御影を作り社を建てて山神と尊稱して祀り明治41年櫻田中屋敷に鎮座の亀井八幡神社を合せ祀る。古き昔より安産及び疫病の守護神として廣く信仰を得ている。春祭:4月12日・例祭:9月12日』
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宮城県栗原市栗駒桜田中屋敷。
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かつての桜田村で、鎮守は山神社、寺は曹洞宗亀井山松岩寺があります。往古桜田と称する田があったので村名となったと伝えます。
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山神社の近くに大きな田が1枚あり、乳児を背負って母親が田植えをしていると乳児の首が水田に抜け落ち、母親はこれを田の畔に埋めて墓標として1本の桜の木を植えたそう。その桜がよく繁茂したので桜田と称したという口伝があります。
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庚申塔。
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「山神牛王」と彫られた碑。
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山神社拝殿(市指定有形文化財:昭和61年10月24日)…『欅の丸柱を使用の神明造り、彫刻は唐様風で天井は絵で装飾、寛政3年(1797年)8月12日本殿修造の棟札あり。』
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市指定有形文化財標柱と岩手・宮城内陸地震によって倒壊した以前の鳥居(約300年前建立)。
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二之鳥居(平成21年1月吉日・桜田山神社38世宮司狩野勉代・地縁団体桜田財産管理会奉納)。
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石燈篭三対。
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参道石段。
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狛犬一対(平成21年4月吉日・桜田山神社総代長小野寺稔建立)。
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石燈篭一対(平成9年10月)。
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狩野英孝氏の御実家。
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立派なお屋敷です。
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社務所・社殿と渡廊下で繋がっています。
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手水舎。
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石燈篭一対。
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櫻田山神社は「櫻田山」神社ではなく「櫻田」山神社です。つまり山神社です。北上川水系江合川上流の二迫川南岸、栗駒山から南東に延びる舌状台地上に鎮座。主祭神は武烈天皇。
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山神社は人皇第25代武烈天皇に仕える狩野掃部之祐及び久我大連の両名が、西暦506年12月8日天皇崩御の後、左遷されて東駒形山の麓に巡礼に参り天皇を追想して御影を建社しこれを山神社と尊称(久我氏=北沢の山神社・狩野氏=櫻田の山神社)。明治12年6月に村社に列し、同41年12月に桜田中屋敷の八幡神社を合祀。大正15年7月幣帛供進社に指定。
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社殿は天喜及び天正の時代と明治18年10月30日に火災に遭遇しており、特に明治時代の火災の際は拝殿と古文書等が焼失し、本殿と社額(文化10年)のみが残りました。地区内外の氏子・崇敬者を始め多数の信者の寄進によって、白木流造りの彫刻付(唐棟風)、御拝柱は勾欄付き、天井絵(寛政3年)付の神明造りの拝殿を大正13年10月に起工、大正14年4月完成。社殿は昭和61年10月に栗駒町有形文化財(平成17年4月に栗原市有形文化財)の指定を受けています。また、境内地内には親子桜(樹齢2000年・大正4年5月30日発行の宮城県林業資料参照)の子桜があり、歴史的に価値ある樹木として氏子から保存菅理されています。また、栗原市無形文化財の指定受けている「桜田ばやし」は、山神社の春の大祭時に奉納されており、各方面から多数の見物者が来訪、五穀豊饒・無病息災等を始め、古来からの安産の守護神として信仰を集めています。毎年4月第2日曜日に例大祭を開催していますが、かわいらしい柄の小さな「枕」があり、出産の時に妊婦が握るもので例大祭で配られるそうです。
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お笑いタレントの狩野英孝氏の実家として知られており、参拝客が県内外から訪れる観光地にもなっています。平成20年6月14日に岩手・宮城内陸地震が発生し、境内の石灯篭や、約6mの本鳥居が崩壊、社殿や社務所なども被害を受けました。本鳥居は約300年前に建立され、昭和53年6月12日に発生した宮城県沖地震の時でも被害を受けませんでしたが、今回は震源地に近かったこともあり崩壊。被害総額は300万円ほどで、150万円は氏子の寄進、残りの150万円は修繕積立金から捻出して再建を果たしました。狩野英孝氏の父親である勉氏(第38代宮司)が「ファンからの賽銭の増加も再建に役立った」とテレビなどで語っています。狩野英孝氏の人気により平成21年の正月三が日の初詣客数は約3000人で例年の約10倍となり、同年春の例大祭では市内被災地及び当社の復興支援に感謝し、狩野英孝氏が無料ライブを開催しておりファンら4000人を集めています。平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、石灯篭3基が倒れた程度で済みましたが、震災を機に狩野英孝氏が芸能活動と並行し当社の跡継ぎとなることを3月21日に表明。同年4月7日に発生した最大震度6強の余震により、岩手・宮城内陸地震によって倒壊して平成21年1月に再建したばかりの本鳥居に亀裂が入る被害を受けています。狩野英孝氏は平成26年夏に神職の資格を取得し、東京で放送作家として働く弟と共に当社を継ぎました。平成28年8月31日の台風10号によって境内のカラマツ(高さ約25m、幹周り約4m)が倒れ、藩政時代建造とみられる拝殿(栗原市指定文化財)の屋根を大破する被害に遭っています。
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メディアに疎い私が狩野英孝氏を紹介することになるとは思いませんでした。狩野英孝氏のお笑いタレントとしての活動にも詳しくありませんが、それはともかくとして、上記のとおり櫻田山神社は非常に由緒ある神社であり歴史も深いです。何より狩野家の先祖は天皇の側近であったとのことでございます。
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市指定有形文化財の拝殿。
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拝殿神額。
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献詠桜田山神社奉賛歌…『一、山の神様お産の神よ縁も結んで末永く 二、今年も元気ではたらく様に元朝詣りのここちよさ 三、朝の祈願の太鼓の音は祈るみんなの幸福を 四、春の祭りは楽しい祝事山車ひく乙女のあでやかさ 五、神楽太鼓に心もおどるお礼詣りに孫つれて』
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拝殿内。
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絵馬(桃園の義・天保)。
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その他絵馬。
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天井絵(寛政3年)。素晴らしい拝殿でございました。
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本殿。
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社殿前狛犬一対(昭和29年8月12日)。
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社殿前石燈篭一対(昭和43年4月12日・37世宮司狩野英市代。有賀沢東・伊藤友四郎、さだ子奉納)。
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社務所。
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明神・雷神・水神。
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荒神。
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忠魂碑。小さな獅子や大黒天様、恵比須様などもおりました。
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庚申塔(天保12年)、馬頭観世音(昭和14年)など。
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石祠。
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ミヤギケンタウルス。
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仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(2008年10月1日-12月31日)の開催を前にJR仙台駅のリニューアルが実施されていましたが、その一環として同駅2階コンコースに設置されていた伊達政宗騎馬像が、2008年3月16日に有備館駅(宮城県大崎市岩出山)の駅舎前広場に移設されました。同像は仙台駅の待ち合わせスポットとして「伊達前」と呼ばれ親しまれていたため、東北放送『サンドのぼんやり~ぬTV』において新待ち合わせスポットを作る企画があり、ケンタウロスをモチーフに、狩野英孝、伊達みきお、富澤たけしの顔を直接型取りした石膏像「ミヤギケンタウルス」が東北芸術工科大学(山形県)によって制作されました。
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「ミヤギケンタウルス」は仙台パルコのペデストリアンデッキ側入口前に2009年7月27日より仙台七夕期間を挟んで8月16日まで展示された後、同年10月に同市太白区秋保町のうなぎ店に移設。2014年に当社に移設。ちなみにサンドウィッチマンは大好きです。
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絵馬掛所。
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有名お笑い芸人の方々の絵馬がたくさんありました。芸人同士の友情とか温かみを感じますね。
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ここに書いてある願い事が全て叶いますように…
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