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JR成田駅付近は湯殿権現社が祀られていたことから権現山と呼ばれています。かつては松や杉などが鬱蒼と茂る山林だったそうです。成田駅前にある樹齢700年の1本のシイの木が往時の面影を今に伝えています。明治30年の鉄道開設以前、成田詣は泊り掛けの旅であり、門前町の旅館は隆盛を極めていました。旅館には各地から多くの仲居さんが働きに来ましたが、故郷を離れ心もとない日々を送る彼女たちは、シイの葉を一枚懐にしのばせて心の拠り所にしたといいます。シイの木は参拝客や地元の人々からもお不動様の分身として崇められ「不動の椎」と呼ばれるようになったそう。
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石碑・石塔がたくさんありますが、鳥居等はなくて、ちょっとした空き地のようにも見えます。しかも境内立入禁止のようです。成田市まち歩きマップに掲載されている上に、私が訪れた日は境内に人がいっぱいいたので、立入禁止の看板に気付きませんでした。すいません。立入禁止にするにはもったいないくらい見応えはありました。
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有名な成田祇園祭も昔はここを中心とした祭礼だったそうでその歴史の深さを感じます(明治の神仏分離以降に成田山新勝寺奥之院大日如来への祭礼となりました)。祇園祭初日の夜、御輿が権現社を御旅所として一泊した翌朝、御輿とすべての山車・屋台が権現社に集合して総踊りが行われているのは、祇園会が古くは湯殿山の祭礼として執り行われていた故事にちなんでいます。
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成田山が管理する湯殿山権現社(成田権現神社)の御祭神は牛頭天王。
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権現山のお大師様。赤い帽子が素敵です。
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倶利迦羅不動尊。矜羯羅童子がおりません。制多迦童子の金剛棒も折れているみたい。立入禁止になった理由がわかってきました。
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不動三尊(右下に矜羯羅童子と左下に制多迦童子)の種字を刻んだ碑(明治41年)。裏面は渡辺崋山の観音大士像が刻まれています。
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花﨑町愛宕神社。
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小さいけど細かい造りです。
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庚申塔(観音様、青面金剛、馬頭観音碑など)。
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馬頭観世音(明治40年旧9月18日・成田組合)と庚申塔。
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歌舞伎役者奉納記念碑(明治42年)。片岡仁左衛門、坂東三津五郎、尾上栄三郎、守田勘弥、中村歌右衛門など多くの著名な歌舞伎役者名が刻まれています。
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基壇の奉納銘板にも注目してください。
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赤阪日花惣講中の碑(文政2年)。江戸赤坂のお花講が新勝寺御本尊への献花用に現在の表参道成田信用金庫付近に畑を購入して奉納した時の記念碑らしいです。
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宝篋印塔。
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青面金剛供養塔など。
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講中による碑が多いですね。
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こちらは湯殿山権現社のすぐ近くにひっそりとあった鳥居。
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由緒はわかりませんが稲荷宮のようです。
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