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三戸郡三戸町川守田下比良。御祭神は保食命。創建は不詳。境内地558坪、本殿1坪、幣殿2坪、拝殿8坪。
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享保10年(1725)八代将軍吉宗にオランダ人の献上した名馬ペルシャ(春砂)馬が、南部藩に下付されました。藩ではこれを住谷野に放牧し、種馬として馬匹の改良を図りましたが、9歳で死んだので関係者はこれを悼み三葉の松を植え墓印としました。ところがその松の枝はみな西に向って伸びたので、人々は馬が母国を慕っているのだと言い、馬の神として崇め、参詣の人は絶えませんでした。そこで、元野馬別当の石井玉葉が寛保3年(1743)に碑を建て馬頭観世尊を祀ったのが当社の起源。この碑は、外国馬に関して日本産馬史上、最古の史料としても有名です。昭和21年3月馬暦神社と改称。
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宗教法人の届出によりますと、「本神社は三戸町元木平にあり、享保年中、徳川幕府より献ずるペルシャ産の名馬を住吉野の牧に下して、南部家の種馬とした。名馬春砂が死んだので寛保二年碑を建て馬頭観世音として祭り、昭和二十一年三月、馬暦神社と改称した。」とあります。なお、糠部五郡小史には享保年中ではなく天和二年とあります。もと蒼前神社と称し、熊野神社の摂社であったといいます。
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向拝下。
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神額。
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拝殿内。
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社号標(昭和46年旧1月16日・元木平老人クラブ)。
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狛犬一対(大正14年旧正月16日)。
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御神木。
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紅梅號之碑。
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唐馬の碑「奉新造馬頭観世尊」「鹿毛白九歳長四尺九寸五分異國春砂」(寛保3年2月17日・石井玉葉)。
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唐馬の碑(県史跡)…『享保10年(1725)八代将軍吉宗にオランダ人の献上したペルシャ(春砂)馬が、南部藩に下付された。藩ではこれを住谷野に放牧し、種馬として馬匹の改良を図ったが、九歳で死んだので関係者はこれを悼み三葉の松を植え墓印とした。人々は馬の神としてあがめ、参詣の人が絶えなかったので、元野馬別当の石井玉葉が追善のため寛保3年(1743)にこの碑を建てて弔った。この碑は日本産馬史上においても、外国馬に関しての最古の史料として有名である。』
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