イメージ 2
イメージ 3
ウサギ跳びで石段を上がってきたところから紹介。
イメージ 4
御祭神は建御名方命。祭日は8月27日。
イメージ 1
かつての高瀬村。高瀬地区の東にあり、上名久井の市街地西の正面に広がる丘の上にあって、建御名方命を祀る神社です。明暦4年(1658)勧請(諸説あり)。神社に残されている「由来記」には、建久8年(1197)工藤祐経の孫右京介勧請をはじめとして、明暦4年(1658)まで南部師行、東政勝などその他多くの武士からの寄進や奉納について書かれています。また、町史には「該社ハ永正二丙寅年七月九日ヲ以テ創立シ建御名方命ヲ祭神トシス」とあり、神社に棟札が17枚保存されていますが、古いものは永正2丙寅年と元禄元年壬辰年です。いずれにしましても旧名久井村の村社として古くから多くの村人から崇拝されてきている社です。
イメージ 5
宝暦5年「堂林寺門間数改書上帳」によりますと「名久井諏訪明神堂林間数 林東西拾壱間南北弐拾壱間 堂弐間に三間 鳥居一つ寛保三癸亥年十月十五日建立施主別当 屋敷表口拾間裏行拾三間 家七間に五間 別当成之進」とあります。諏訪神社別当は上名久井村で3石余の御免高を与えられていました。文化年間の八戸藩士分限帳にも「一三石八斗四升七合御免高 名久井諏訪別当監物」とあります。国誌では「諏訪神社境内二百四十五坪本村の東三十間にあり、相殿白山神 祭神白山比売命 明治中下名久井村より遷し祭る」とありますが、白山神社は現在下名久井に祀られています。また「旧は修験の徒別当せり狛犬二頭石灯二座を置売市邑市川大治司る」とあり、修験は来光院の霞下だったようです。宝暦8年祭礼の節、3日間の勧進相撲興業を願い出るも不許可となっています。天保7年には藩から五穀成就の祈祷を命じられています。
イメージ 6
上名久井諏訪神社神楽は町指定文化財。文久2年(1862)獅子頭を奉納。その獅子頭は朱色の大神楽で、獅子頭の中に銜え棒があり、舞い手はこの棒を銜えて踊るため歯が丈夫でなければ踊ることができないといわれています。毎年、諏訪神社の宮司と共に春祈祷を行っています。
イメージ 7
拝殿正面。
イメージ 8
拝殿向拝。立派な注連縄。
イメージ 9
蟇股・木鼻。
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
拝殿神額「諏訪社」(昭和61年11月吉日・石橋弘)。
イメージ 13
幣殿・本殿覆屋。
イメージ 14
イメージ 15
神楽殿。
イメージ 16
拝殿前狛犬一対。ミニマムです。
イメージ 17
イメージ 18
拝殿前石灯籠一対(文政2年4月吉日)。
イメージ 19
イメージ 20
拝殿前手水石。
イメージ 21
裏参道鳥居。
イメージ 22
裏参道入口付近に墓碑。
イメージ 23
鳥居付きの末社。
イメージ 24
中はかなり荒れていました。蛇の絵が見えます。
イメージ 25
末社。
イメージ 26
一体の蛇が経巻を咥えている陶製双頭蛇体像。その裏の棟札に「地主明神」と見えます。
イメージ 27
末社。
イメージ 28
上名久井荒神大神堂。棟札には「築城宝暦五年」という文字も見えます。
イメージ 29
末社。
イメージ 30
再び陶製双頭蛇体像。
イメージ 31
末社。
イメージ 32
味のある子安地蔵様。
イメージ 33
ドア半開き末社。
イメージ 34
蒼前神社です。
イメージ 35
末社。こちらは空っぽ。
イメージ 36
末社。
イメージ 37
こちらはかなり荒れてますが、棟札らしきものが10枚近く見えます。
イメージ 38
向拝の位置から読み取れるのは一番手前の出羽三山。
イメージ 39
末社。
イメージ 40
蒼前神社のようです。
イメージ 41
上名久井諏訪神社創建五百年祭記念碑「温故知新」宮司諏訪貞人。
イメージ 42
諏訪神社新築記念碑(昭和62年8月吉日)。
イメージ 43
忠魂碑(御大典記念)。
イメージ 44
凱旋紀念碑(明治三十七八年)。
イメージ 45
忠魂碑。台座碑文…『明治天皇御製「靖國の社にいつくかがみこそやまと心のひかりなりけれ」。碑文…靖國神社の神として永遠に國を守って下さる忠魂をこの碑に刻みこみ真心をささげて日本國家の弥栄を祈る。昭和50年8月28日』
イメージ 46
伊勢神宮式年遷宮参拝記念碑(平成25年第62回)。
イメージ 47
「皇太子殿下御成婚記念植樹・諏訪神社神楽殿新築記念植樹」碑(平成5年11月吉日)。
イメージ 48
両脇ある石塔は恐らくかつての鳥居の柱。
イメージ 49
イメージ 3
イメージ 2