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八戸市鮫町。御祭神は事代主神。『日本むかしばなし』(鯨石)にも出てくる有名な神社。御神体は佛石(仏石・恵比須石)。拝殿は妻入、千木(外削ぎ)、鰹木5本。文化11年(1814)より毎年旧暦3月15日(現在は5月5日)を大祭と定め、船問屋西村家(山四郎を襲名)が代々管理し、現在も西村家が由緒ある恵比須石を守り、毎年盛大にお祭りを行っているそうです。
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西宮神社には次のような言い伝えがあります。その昔、八戸の鮫浦の海では荒れた日が続いて漁に出ることができなくなり村人の生活は困窮しました。ある日、一人の青年が決死の覚悟で荒れた海原に臨むも、青年は荒波にさらわれて、いよいよ死を覚悟した時に一匹の鯨が現れて彼を救いました。村人は鯨に感謝を捧げ、この鯨を八戸太郎(鮫浦太郎)と呼びました。それ以来、鯨が現れると鰯の大漁が続いたことから、八戸太郎の神恩と称え、海の守り神として崇めました。ある日のこと、八戸太郎は紀州の海で熊野裏の漁師に銛を刺されて傷つき、当社の前の鮫浦の浜に打ち上げられ、そのまま息絶えて石になりました。その石は「鯨石」と呼ばれており、現在も神社の前に祀られています。
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また、八戸藩日記には『元文二年頃、大阪から鮫浦へ入港していた通五郎船の楫取の枕もとへ仏石が現れて、鮫浦の海中から引き上げてほしいと頼んだ。しかし、夢のこととて、彼は気にもかけず出港しようとしたが、恵比須浜に来ると船が動かなくなり、不審に思い、海中を捜したところ、やはり、夢に現れた石があったという。早速取り上げて、手厚く祀ったところ船が動き出した。その年は大漁で、以来この浜を「仏浜」、その石を「仏石」とか「地蔵石」と呼ぶようになった』とあります。八戸藩主八代信真が鮫浦に立ち寄り、地元の元にその名を尋ねると「仏石」と答えました。そこで信真は地蔵というよりは福徳円満な恵比須神に似ているので、「恵比須石」と改名するように命令し、その記念として漢詩を読んでいます。その日から「仏浜」も「恵比須浜」に改名。文政元年3月21日には信真が鯨の大漁を感謝し、恵比須浜へ代参を派遣して青銅30疋を奉納したという記録も残っています。信者たちは、恵比須石にオセンダクを着せ、頭巾をかぶせ、大漁豊漁の神として釣竿を担がせています。
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西宮神社由来碑。
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西宮神社の由来…『恵比須石:八戸藩史料によれば、昔この地を佛ヶ浜と呼び、人々が佛石を祀り信仰していました。文化元年3月15日(1804年)八代藩主南部信眞公が、この石の形は事代主命像によく似ているので、今後、恵比須石、恵比須浜と呼ぶようにと仰せられ、改名され、爾来西宮神社御祭神として今日に至っております。【夷(エビス)石の詩(南部信眞)】「名を夷石と改む東海の辺り 神徳の由来萬福を伝う 限り無き春の光に櫂歌の響 魚舟商船幾艫か連る」。【鯨石】昔鮫の沖に、毎年姿を現わす鯨がおりました。その時は浜で鰯の大量が続きましたので、「八戸太郎」と名づけられ海の神様のお使いとして崇められていました。その鯨が熊野灘で鈷を打たれ、ようやく鮫の海岸にたどり着き、息絶えて、そのまま石になったと語り伝えられています。それが神社の前に横たわる鯨石です。平成10年4月吉日』
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狛犬一対(平成4年5月吉日)。
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鯨碑。
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恵比須様。
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境内にたくさんの石・石塔(読み取れず)があります。
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拝殿前の鯨石。
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確かに鯨の形をしています。
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山神社。
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神社前の風景。
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蕪島も見えます。
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